松尾大社(まつおのたいしゃ)の神幸祭(おいで)

土居好江

2023年4月23日撮影

西の葵祭・松尾の葵祭と、呼ばれていた松尾大社の松尾祭が2023年4月23日に行われました。古くは松尾の国祭ともよばれていた庶民の祭です。四条通の東の端が八坂神社、西の端が松尾大社ですが、不思議なことに四条通は東西の両端に神様が鎮座されています。諸説ありますが、両社とも平安時代初期・貞観年間に創立されています。

何故、西の葵祭と呼ばれていたのかは、松尾大社本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿や神輿、供奉神職の冠・烏帽子すべてに、葵と桂で飾るので、「葵祭」とも言われてきた理由です。葵祭は飛鳥時代の欽明天皇の時代から行われている祭礼で、疫病が流行り、五穀が実らなかったことから天皇の命により始められました。

松尾祭は1年に一度、山の大神様を里にお迎えして、氏子でおもてなしをして、霊力を高めて、再び山へお帰り頂くという祭です。桜前線と同じように、山の神様が里に下りてきて、桜にお酒などのお供えをして、そのお下がりを頂くのが、日本の花見の由来ですが、類似点がありますね。

桂の木は水のきれいな場所にしか育たないという性質があり、天にまっすぐ伸びていく木と、葵の二葉が地を這うように育つ様子が、天と地が会うという意味で、桂の葉と葵の葉をつけました。天の神様と地の神様が出会うということでしょか。

賀茂両社の「葵祭」は京都三大祭として、あまりにも有名ですが、秦氏との関係の深い松尾大社、伏見稲荷大社にも賀茂社の伝統が受け継がれています。この神幸祭・還幸祭は、吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の大役で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。

神幸祭、還幸祭を「うかうかとおいで、とっととおかえり」というのは、卯(う)の日に出御(おいで)、酉(とり)の日に還御(おかえり)とされているからです。古来より、庶民の祭りとして親しまれてきました。

お稚児さん

 祇園祭は八坂神社の祭礼であり、松尾大社の松尾祭も松尾大社の祭礼です。共に庶民の祭として、、諸説ありますが。創建の時代が平安時代初期の貞観年間という共通点があります。稚児が先導するスタイルも同じですね。

桂大橋の上から御輿渡御の祭礼を見学しましたが、江戸時代は桂離宮の池の水位と桂川の水位が同じだったことから桂離宮から舟を出して、舟を浮かべて名月を楽しんだ宮家のことを思いだし、タイムスリップしたひとときをすごしました。
以上

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