手洗い、うがいの歴史は2500年続く
手水舎(松尾大社) うがい推奨のポスター(大正時代)
内務省衛生局編『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』平凡社
古代、人が集まる場所といえば神社でした。神社にお詣りする時に口をゆすぎ、手を洗うことは、お清めの意味がありますが、昔は近くの川で身体を清めてからお詣りしたと言います。日本で最初に大きな疫病が流行った時、第十代崇神天皇(3世紀中頃~4世紀前半・古墳時代)は神社に手水舎をつくり、手洗いや口をゆすぐことを推奨しました。
これは『古事記』、『日本書紀』の時代から行われていた日本の習慣です。第十代崇神天皇の時代に疫病のため、人口の半分以上が命を落としたことが『日本書紀』に記されています。
崇神天皇の時代には、手水舎での習慣が広まり、神社に参拝する時は口をゆすぎ、手を洗ってからお詣りしました。食前やトイレの後にも手を洗う習慣ができました。これも2500年前から続く日本の習慣です。
これは『古事記』に記されている伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が禊をおこなった様子で、手水舎でお清めをする順番は左手→右手(→口)→左手です。何故、左が先なのかというと、イザナキノミコトの左目から生まれたのが天照大神でその子孫が神武天皇ということです。
祇園祭大政所お稚児さんお詣りは手を清めることからはじまる
若宮八幡宮陶器祭の神事も手洗いから始まる
禊(みそぎ)というのは、川や清水に入り、白装束で水中の中で穢れをおとしたものでした。現在では、神社の境内に手水舎で手を洗い、口をゆすぎます。これは崇峻天皇が神社のお参りで参拝者に義務づけたものです。この習慣が現在の手洗い、うがいに繋がっています。伊勢神宮の内宮には、今でも五十鈴川で手水を行うことができます。
疫病が流行った時、天皇は眠らずに神に祈り、宮殿に天照大神と倭大国魂(ヤマトノオオクニタマ)の二柱の神を祀り、さらに神が降臨すると言われる神社であるヒモロキ(神籬)を立てました。そして神の教えの通りに沐浴をして穢れを落とし、肉食をしないで、宮殿を清め祈り続けたそうです。
以前、娘がフランスに留学していた時、お正月にフランス人の友人をお連れして、10日程滞在されました。その時、冬でしたが、毎日、パジャマを洗い、毎日掃除をする筆者を見て、「ママは大丈夫?神経質なのではないのか」と心配されたことを思い出します。フランスではお部屋の掃除は1週間に1回ぐらいとか、習慣の違いに驚いたことがありました。また、靴を脱いで家に上がる習慣も日本独特のものです。
パリのカフェのトイレで、トイレットペーパーが散乱していて驚いたことが思い出されます。
フランスの雑誌「ル・ポワン」が「日本は例外である」という特集をしました。日本国民の規律ある国民性と衛生観念の高さに対する称賛を特集したのです。日本では当たり前なのですが、人類の歴史上、一番清潔な国民ということでしょうか。アメリカのラジオNPRも日本を称賛する番組で、日本に恋をしたという投稿が数日間で6千回を上回ったそうです。
うがいが文献に最初に登場するのは国語辞典『下学集(かがくしゅう)』(文安元年・1444年)に「鵜飼(うがひ)は嗽(くちすすく)ぐ也」とあります。うがいのルーツは鵜飼(うかい)なのです。うがいは嗽と書きます。
鵜飼が鮎などの川魚を獲る伝統的な手法で喉を紐で縛り、吐き出すことから、うがいと名づけられました。ちなみに、フランスではうがいの習慣はありませんが、鼻を掃除するスプレーを使うのが一般的です。国民性の違いや風習の違いは、こんなところにも表れています。ヨーロッパ全体でうがいの習慣はないようです。
京都大学の河村孝教授の研究でうがいをすることで、風邪の発症率が四割減少したということが証明されています。
仏教伝来の時、爪楊枝が歯の衛生を保つ仏具として奈良時代に日本に伝来しました。10万年前のネアンデルタール人が歯の間に爪楊枝を使用したことが歯の化石から筋状の爪楊枝を使用した跡が残っているとされています釈迦は (紀元前500年)は弟子たちにニームという木の枝を使って歯を磨くことを教えたことが、爪楊枝と歯ブラシのルーツであると言われています。中国ではこのニームという木がなかったので楊柳(ようりゅう)を用いていました。柳の枝が楊枝 (ようじ)と呼ばれるようになったのです。身を清めることは食の入り口となる歯や口を清めることからであるということでしょうか。江戸時代には爪楊枝や歯ブラシとして使う楊枝を販売する楊枝屋なる店がありました。楊枝は黒文字という木を使い店頭で削ぎ販売していたそうです。
当たり前のことが外国では珍しいことだったということを痛感する最近の状況に、日本の習慣や風習の素晴らしに感謝する日々です。
以上