追悼:佐野藤右衛門先生

土居好江
謹んでお悔み申し上げます。
藤右衛門先生、有難う存じました。
桜守の佐野藤右衛門先生が10月31日、ご逝去されました。寂しいことです。お優しいお顔が浮かびます。11月6日、ご葬儀に参列させて頂いた時、初めて桜守のお仕事の様子をビデオで拝見しました。桜守のビデオを拝見しながら、桜の木に金の水引の熨斗を巻いて木を移植される手順は、おくどさんに火を入れる時に荒神様にお神酒や水をお供えてして、火を入れる手順とほぼ同じです。
火の神様、木の神様、山の神様、水の神様、八百万の神様と同じ次元の立ち位置におられた藤右衛門先生だったのだと気づきました。
藤右衛門先生とは「おくどさんサミット」でお世話になっておりました。老舗の方からおくどさんが藤右衛門先生のご自宅にあるとご紹介頂き、サミット開催の前におくどさんの写真撮影にお伺いしたのが最初のお出会いでした。
桜守のご自宅に毎年11月の紅葉の季節に、おくどさんサミットのご案内を持参していました。「まぁ、入りいな」と。ご高齢なので、お顔を拝見して説明させて頂き、いつもおくどさんの前でおくどさん談義が始まります。その時、おくどさんに対するあつい想いが乗り移るような気迫を感じました。この精神が世界一の桜守の精神なのだと、すべては繋がっているんだと思うひとコマでした。文化を守るとは、こういうことなのかと、腑に落ちることばかりでした。桜守の藤右衛門先生と桜について会話した記憶がありません。おくどさんのことばかりです。
私にとっては至福の時間でした。茅葺のお屋敷を守る為、毎日、おくどさんでお湯を沸かしておられたそうです。茅葺のお屋敷も守る為の毎日のお仕事です。いろいろと行政機関にも掛け合っておられたこともお伺いしました。
初めて参加されたおくどさんサミットでは「死んだら参加できひんから、先約があったけど、来たんや」とタクシーで駆けつけてくださいました。
今年4月に近畿農政局の主催で、大阪の読売新聞社でミニセミナーを担当させて頂くにあたって、「藤右衛門先生のおくどさんの写真をご紹介させて頂いてもよろしいでしょうか」とお電話させて頂きました。これが最後の会話でした。その時、身体が弱っていると申されていました。サミットに参加したいと、わざわざ、お電話を頂いた時のこと等蘇ります。律儀なお人柄に感動することばかりでした。
藤右衛門先生、今年も12月7日におくどさんサミットを開催させて頂きます。あの世からお見守りくださいませ。今年は影武者でご参加くださいませね。安らかにお休みください。有難う存じました。ご教示賜りましたさまざまなこと、心して生き抜いて参ります。有難う存じました!。
来年の桜の季節には、藤右衛門先生が作成された桜地図を手に、此花咲姫・桜のフィールドワークをさせて頂きたいと存じます。
以上