引き算の美学 ~絶対差と山紫水明~
土居好江
山紫水明処玄関 |
山紫水明処東の鴨川河原 |
2023年10月5日撮影 |
鮎が泳いでいるように盛り付ける「和ごころ泉」2024年7月3日 撮影
京都を形容する代表的な言葉は「山紫水明」。「山紫水明の京都」とよく言われます。山紫水明とは江戸時代後期に、頼山陽が入洛以来9年間に6回も引越しを繰り返して、終焉の地・鴨川の三本木に建てた「山紫水明処」という書斎兼茶室のことです。
頼山陽が鴨川から東を見て山紫水明と言う言葉をつくりましたが、まさに、この山が紫に染まるというのは、夕焼けのできる時刻のことを指しています。現在では形容詞として使われていますが、頼山陽は手紙に「山紫水明の頃におこしください」という手紙を書いたのがはじまりです。
季節によって時間は少し異なりますが、ほぼ夕方4時頃でしょうか。水面が夕日に照らされて、キラキラ輝き東山が薄紫に染まる様子を山紫水明と申します。この時間帯の鴨川は魅力的です。
自然の持つ魅力と歴史の積み重ねで出来上がった京文化と京のまちは、京都しか持ちえない「絶対差」があります。相対差は乗り越えられる差ですが、絶対差は乗り越えられない差なのです。その絶対差があり、引き算して、エッセンスを残すのが、引き算の美学です。
料理の盛り付けも、他とは異なり、京都では小さく盛り付けます。余分なものを削いでエッセンスだけを残します。居食住にわたり、引き算の美学は見受けられます。垢ぬけるということでしょうか。人間関係にも、ご近所付き合いにも、ほどほどに距離を保ちつつ、ここぞという時には親戚以上の支え合いをする歴史が町組にはありました。
以前から思っていたことですが、京都は引き算美学の集積のまちだと。昨日読んだ書籍で第二次世界大戦の終結前、アメリカが京都をどのように評価していたのかを拝読しました。
1945年、日本に原爆を投下する都市を議論したアメリカの原爆投下目標選定委員会の記録(1945年5月12日付)には「京都 人口100万人の産業都市。かつての日本の首都であり、他の地域が破壊されているため、多くの人や産業が京都に移入。心理学的には、京都は日本の知的中心地であり、小型兵器がベター」と会議の概要が記されています。(J.A.デリー少佐とN.F .ラムゼイ博士からL.R.グローヴス将軍への覚書)
京都を日本の知的中心地と評価しています。そういう役割が京都にはあるのです。芸術、伝統産業、伝統建築、寺社仏閣、大学、近代建築、祭、食事、器、盛り付け、衣服、室礼等、どれをみても芸術的です。
また、ペリー提督遠征計画の基礎資料で、幕末の来日の折に日本到着まで船で読んだとされる『日本1852』では、京都のことが次のように記されています。「都(京)は聖なる皇帝の住む町である。(中略)京は背徳(immoral)と浪費(profligate)の町のようだということで一致している(中略)この町も諸工業の中心地である。数々の製品が完璧さを求めて作られている。また、ここは科学と文学の町である」と。
江戸時代の面白い京都の評価です。無駄と思うような浪費をしながら、完璧さを追求した文化があるのでしょう。この精神(こころ)が京文化、伝統産業、ベンチャーの世界一をつくり上げました。
人生も引き算の美学のように、余計なことを削ぎ落し、好きなことだけに集中できれば、どれほど幸せでしょうか。京都の歴史は面白いですね。
以上