仕出し文化の京都の食を祇園祭大船鉾・四条町で味わう・ごはん処矢尾定

本年で1150年目の祇園祭。西暦869年に始まりました。祇園祭一色になる京の町、特に鉾町は5月頃から準備が始まり、一年で一番忙しい季節となります。大船鉾の鉾町にある「ごはん処・矢尾定」にお伺いしました。1階には大船鉾の車輪が奧に保存されていて、壁一面に全鉾町の粽が飾られています。窓側には河原町四条で鉾が方向転換する時に使う竹が水引に包まれて飾ってあります。私はランチに良く通っていて、別名「京すずめ食堂」と呼んでいます。素材を吟味して手間暇かけて調理する料理長のお人柄が、そのまま料理に表れています。
京都は昔から仕出し文化のまちで、四条烏丸界隈では井傳さん、京料理木之婦さん、矢尾定さんが仕出しを提供していました。来客のある時は、うどんや懐石、寿司、松花堂弁当等、仕出し屋さんに注文しました。西陣の町家では、芸舞妓も呼んでの大宴会も行われた時代がありました。
在は料亭やレストランに行って食事する人が増えましたが、明治、大正、昭和の中期頃は仕出し屋さんが多かったのです。その仕出し屋さんから料亭になった店が京都には幾つもあります。その仕出し文化の食事を矢尾定さんで頂戴しました。
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祇園祭
京都では一般に農耕のサイクルによって、年中行事が構成され、その結果、春の田植え前と秋の収穫後に大きな祭礼が行われます。この世に未練恨みを持つ死者の霊魂が疫病を振りまくと考えらえる御霊信仰の影響を受けてきました。
更に貞観11年(869)旧歴5月26日(新暦7月13日)も貞観地震が起こり、2011年3月11日の東日本大震災はマグニチュード8.1でしたが、貞観地震はマグニチュード8,3だったと伝えられています。夜に陸奥国で津波が押し寄せ、溺死者1000人と『日本三代実録』に記されています。
貞観11年(869)のこと、全国的に疫病が発生し、大震災も発生し、これを政治的に失脚した人々の怨霊であり、「祇園牛頭天王の祟り」であるといううわさが広がりました。これを退散させるため、旧暦の6月7日、平安京で一番広い庭園だった神泉苑に勅を報じて、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立てて、祭を行い、14日に洛中の男児が神輿を神泉苑に送って災いの除去を祈ったのが祇園祭の始まりと伝えられています。

以上

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