エコハウス 鴨川の川床(ゆか)  後編

もう一つのエコハウス 鴨川の川床(ゆか)

鴨川 江戸時代の夕涼み

鴨川大正時代の川床 美濃吉

江戸時代の夕涼み 河合納涼 糺の森

現在の納涼川床

京都市を流れている鴨川は、鮎が釣れる川でもあり、昔から広場として 暑い夏に鴨川で涼む習慣は、平安時代からあったといわれている。川の中に床几を並べて、夕涼みをするようになったのは、豊臣秀吉の時代に遡ります。裕福な商人が暑い京の夏に遠来の客をもてなすため、五条河原の浅瀬に床几を置いたのが始まりと伝えられています。
江戸時代初期の寛文2年(1662)頃には平安京の年中行事として納涼床が記されています。もう1ヶ所、江戸時代には糺の森でも納涼床が行われていて、河合納涼(ただすのすずみ)と呼ばれ、御手洗川に床をだして賑わったようです。
四条河原の夕涼みは6月7日から6月18日(旧暦)、祇園祭の前祭(さきのまつり)の期間で、糺の森の納涼は6月19日から晦日までの「夏越の祓え」にあわせて行われていました。

鴨川の川床(ゆか)は江戸時代から夕方の川風の涼しさを活用したおもてなしです。当時は中洲が沢山あって中洲と中洲に板を渡していたらしく、鴨川の四条あたりに川板を打ち付けて、夏場になると川風を求めてくる町衆が増え、その川板、板橋に人が集まりだし、人出を目当てに屋台が出始め、トコロテン、飴等が売られて、西岸にあった川魚屋も川魚をお土産に販売するようになり、お茶屋がお茶やお酒を運び、鴨の河原の夕涼みが定着していきました。
そんな時代、裕福な豪商は四条ではなく、自分たちのエリアを求めて五条の鴨川の河原のようなところに、床几を置いて両岸に板や床几を置き、仕出し屋から料理を運ばせ、お酒等を持ち込んで遠来の客人をもてなします。それが浅瀬に床几を置き、涼しさを求めた様子を絵図等でみることができます。
『日次紀事』(1677)には「四条河原の水陸、寸地を漏らさず床を並べ、席を設く」
「東西の茶店、提灯を張り、行灯を設け、あたかも白夜のごとし、これを涼みといふ」とあります。
時代が進み、護岸工事も進み、景色を楽しめるように高床式に移行して、洪水や災害に対しての安全対策も施されるようになりました。

日本では様々な工夫で暑さ、寒さをしのぎ、寒さを利用して氷室をつくり、夏に氷を天皇家に献上した歴史もありました。京町家のつくりは夏の暑い日々に風通りの良い作り方で通り庭から風が抜けるようになっていました。2019年、国交省は建築物省エネ法(国交省)を改訂し、奨励しています。時代はどんどん変わっていきますが、京都の省エネの習慣を残したいものです。

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