祝・京料理が無形登録文化財へVOL.Ⅲ

(3)京料理とおくどさんー台所の歴史
土居好江
 
京料理


7200年前の竈

7200年前の竈の原理
7200年前の登り窯の原型

7200年前の住居

中国遼寧省瀋陽歴史遺跡館

「あなたとかまどを共にしたい」これはアフリカ、スワヒリの男性が言うプロポーズの言葉だそうです。家族の中心、家の中心を意味する言葉です。歴史の確認できる範囲では日本でも家の中心は縄文時代からおくどさんでした。家族の団らんもおくどさんを囲んで交流しました。当時のおくどさんは、地を掘って火を燃やした地下炉でした。少し時代が進んで、大陸では7200年前の登り窯も発見されていますが、土器を作れるようになり、石囲炉になったと推察します。このおくどさんで煮炊きもして、暖を取り、灯りの役割もしました。火を使う設備が、如何に重要であったかわかります。

 今、現在人が台所と呼んでいるのは、もともとは平安時代、宮中の台盤という脚付きの台に料理を盛り付ける処を台盤所と言い、いつの頃か、省略して台所と呼ぶようになりました。

 この平安時代に煮炊きをする時に炭を使いだします。炭は煙が出ないので、衣服や家屋を汚すことがありません。もともと、人類が火を使うようになって動物とは異なる文化を創り出しました。そして、日本でも煮炊きする道具・鍋の確認ができたのが縄文土器です。

 人類が料理することで進化したというハーバード大学のリチャード・ランガム博士は『火の賜物 ヒトは料理で進化した』のなかで、人類600万年の進化の中で、190万年~180万年で歯のサイズが小さくなり、大きな脳、小さな胃腸ができたと記しています。これは料理が大きく寄与していると推察できるのです。

台所は大正時代までは、もともと、近代的な水道施設の無い時代、煮炊きするおくどさん(竃)の場所を指していました。江戸時代も明治時代も台所はおくどさん中心で、流しは土間にあったものの、とても不便でした。大正デモクラシーの運動と共に電気、ガス、水道の三点セットが普及します。しかし、農村部では第二次世界大戦の終戦後にやっと定着しました。

京都では、1074年間の首都の時代に全国の美味しいものが集まり、その食材をさらに美味しくする技を究めて芸術品にも匹敵する五感をくすぐる特上品になりました。6年ほど前に、友人のハリウッドの映画監督のお姉さまが急に日本を訪問しることになり、ご紹介した祇園にある料亭に感動されました。お部屋が空いていなくて、お茶室で座布団に座っての食事となりましたが、ご満悦で、「こんなクリエイティブな料理、空間を体験したことがない。この料亭に来るだけのために京都訪問をする価値がある」と感動していました。

以上

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