梅の季節・梅の花と梅の実、北野天満宮、令和元号の由来
土居好江
天神さんと言えば、菅原道真を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社が北野天満宮です。
天慶5年(942)に右京七条四坊に住む多治比文子(たじひのあやこ)が「道真の御霊を北野右近の馬場に祀れ」との宣託を受け、当初は家の辺りに小祠建てて祀っていましたが、天歴1年(947)に再度、宣託を受けて平安京の天門(北西)にあたる北野の地に祠を移したのが、北野天満宮の創建です。
天門とは鬼門の反対で、その地の力が更に高まるように、神社等を配置しました。そこに神社を創建することで、その地域が更に繁栄するという考え方です。反対の鬼門は鬼門封じのために神社を建てたのです。現在でもなじみがありますが、平安時代には、とても大切にされた考え方です。北野天満宮、大将軍八神社も天門の神社です。
その後、藤原氏による大規模な御社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の
勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時、一条天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、道真は「天神さま」としておまつりされ、以後、寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ崇められてきました。
やがて天正年間には、豊臣秀吉が境内一帯で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京で初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じるなど、北野は文化発信の中心地でもありました。
江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に道真の「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られました。このことが「学問の神さま」「芸能の神さま」として人々に広く知られるようになった由縁の一つです。
境内には道真が愛した梅の木が数多くあります。祥月命日の2月25日に行われる「梅花祭」は境内がほのかに梅の香りに包まれます。
梅は中国原産の花木で、2000年前の中国最古の薬物学書『神農本草経』に、梅の効用が記されています。梅が日本に伝来したのは、3世紀の終わり頃とされています。
日本の文献に「梅」という文字は、日本最初の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』(751年)に記されています。また、日本最古の歌集『万葉集』にも、梅を題材とした和歌が数多くあります。当時の花見は梅が対象でした。
梅干しの原型・梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に記されるのは平安時代中期頃です。村上天皇(在位946〜967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲み、快復されたということが、元旦の大福茶として受け継がれています。
2023年は令和5年ですが、令和の元号も梅と関係しています。「令和」の由来となったのは「万葉集」にある歌人・大伴旅人(おおとものたびと)の「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」と。この二文字から「令和」が生まれました。
初春の素晴らしい月にして、風も春の陽気のように穏やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。咲き誇る梅が告げる春の訪れと言うことでしょうか。梅の季節、花も実も楽しみたいものです。
以上