京都の引力28 

地震と活断層2
京都で起こった地震の歴史

                                             土居好江


清水寺 

京すずめ被災地支援2011年11月4日銀閣寺
福島県相馬市立向陽中学校の生徒さんをお迎えして

 近年、祈りのエネルギーがどれほど影響を及ぼすかという研究がアメリカをはじめヨーロッパで盛んに行われています。ハーバード大学のハーバード・ベンソン教授は祈りが呼吸数、心拍数、二酸化炭素排出量、酸素消費量の抑制に影響を与え、ガン患者や糖尿病、不妊症など病気に効果的に働くことが確認されています。

 日本では自然に感謝し自然の恵みに感謝と祈りを捧げたお花見など、他の国ではみられない文化があります。これも自然との調和の日本独特の文化のお陰でしょうか。地震とは関係ないように思われますが、地震大国日本での祈りの意味も考えてみたいことです。

 日本では、人間の捉え方で明治以前と以後では大きく異なります。もともと日本語には自然と人間を分けるという発想がなくて、英語のnature は日本語訳で自然と訳されていますが、仏教用語の「自然(じねん)」という言葉を当てはめられました。人間も含んでの自然だったのです。

 暖房という言葉も明治30年にできた言葉で、日本には部屋を暖めるという発想はなく、人の手や足を暖めるものだったのです。考えればとてもエコな発想です。こたつや火鉢は人の手や足を温めたもので、節電が叫ばれる昨今、日本人の暮らしはとてもエコだったのです。

京都,及び京都近辺で起こった地震について述べたいと思います。
日本史で最初に文献に出てくる地震は418年、奈良県明日香村での地震です。以下、地震の歴史を見てみましょう。

418年 

 

遠飛鳥宮(大和国 現奈良県明日香村)で地震 『日本書記』に初の地震の記述、日本史上最初の地震の記録
599年 大和国で地震、家屋倒産、『日本書記』に地震被害の最初の記録
684年 南海大地震
734年  畿内七道地震
794年

7月

南海大地震 京都に甚大な被害
9月 南海大地震 京都に再び被害
10月 平安京建都
桂川の氾濫等自然災害の多かった年
827年 天長の地震 M6、5~7 翌年まで余震が続く
863年 越中越後地震 2004年 新潟地震
864年~866年 富士山の大噴火 貞観大噴火の折には阿蘇山も噴火
868年 兵庫地震 1995年 阪神淡路大震災
869年 貞観地震  2011年 東日本大震災
878年 関東の地震   ?    首都直下型大震災
887年 南海地震   ?    南海地震

 

878年の元慶地震(南関東)、887年の仁和地震(南海トラフ三陸地震)の3つの地震は9年間隔で起こりました。また、1096年永長東海地震、1099年、康和南海地震は3年間隔で連続して起こっています。また、887(仁和3)年  8月26日仁和地震(南海地震)京都、摂津を中心に死者多数が出ています。また、ほぼ同時に東南海、東海地震も発生しています。

938(天慶元)年 5月22日 京都で地震、死者4名、
976(貞元元)年 7月22日 山城、近江地震 清水寺で僧俗の死者50名以上
1070(延久2)年 京都の家々の築垣が壊れる。東大寺の巨鐘の紐が切れる
1185(文治元)年 8月13日 文治京都地震 法勝寺や勧修寺、延暦寺三井寺、
 宇治川の橋損壊、余震が2ヶ月続く→ これを鴨長明が『方丈記』に記述
1317(文保元)年 東寺の塔の九輪が折れる。法勝寺(ほっしょうじ)、法成寺(ほうじょうじ)の堂宇門楼が傾く
             清水寺が火を発して塔と鐘楼を焼いた。
1350(正平5)年 祇園社の石塔の九輪が落ちる。
1449(文安6)年 東寺、神泉苑の築地が壊れ、嵯峨清涼寺の釈迦仏などが転倒 
1498年 明応地震が東海地方と南海地方双方において、数ヶ月違いで連続的に起こっています。
1596(慶長元)年 9月1日に大分県別府で地震が発生し、その4日後に京阪神・淡路地域の伏見地震が発生した。余震は翌年の春まで続き、高槻-有馬断層帯が動いた。伏見城の天守閣、石垣が損傷し、東寺、天龍寺、大覚寺、二尊院が倒壊し、洛中の死者4万5千人。
1604年(慶長9年) 南海大地震
1662年 6月16日(寛文2年5月1日)に活断層動く、どの断層か明確でない京では町家が1000軒倒壊し、死者200人余り、六地蔵や鞍馬では山崩れがあり、向島の堤が550メートル余りにわたり切れたと記録にある。しかも高槻、大阪、尼崎にまで被害が広がった。

1703年の元禄地震(南関東)と1707年の宝永地震(南海トラフ三連続地震)はわずか4年違いで起こっています。宝永地震の49日後に富士山が噴火し、江戸と関東地方は激甚被害がありました。

文政京都大地震
 1830(文政13)年8月に発生し、洛中洛外の土蔵が破壊され、御所や二条城の本丸が大破し、死者が280名、負傷者が1300名にのぼったと『京都気象100年』に記されています。翌年まで635回の余震があり、これ以降、京都では地震が発生していません。

以上

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