京のお雑煮
ほっこりする白くて丸い京都のお雑煮
日本最古のの現存する飲食店あぶり餅一和に伝わる
お雑煮、昆布で出汁を取り、丸い餅に細大根、小芋、
焼き豆腐の具に、かつを節を振りかけて食する
お正月のおくどさんのお飾り お雑煮をつくるのは男衆と決まっている
京都では白味噌の丸いお餅を入れたお雑煮を、毎年元旦に頂いています。京都生まれ、京都育ちの筆者は白味噌に丸いお餅のお雑煮が定番です。
お雑煮は室町時代に京都で誕生したものですが、足利将軍家では、お正月に花びら餅を焼いて食していたという記録が、吉田神社の鈴鹿家の日記に遺されています。この花びら餅をお雑煮に仕立てて、お正月を祝ったという記録も遺されています。また、溜醤油で焼いたりして酒の肴にもしていました。
また、足利将軍家や武士の婚儀の折、お嫁さんのお色直しの時に固めの盃を交わす時、お雑煮が酒の肴として用いられたとあります。安土桃山時代の文献に(『小笠原流礼法秘伝書』)そのお雑煮の具は、餅、干しアワビ、干しナマコ、結びのし、結びワラビ、搗ぐり(つき栗)です。すべて意味があり、餅は望みに通じており、望みが叶えられる開運の願いを込めています。
アワビは不老長寿、ナマコは豊作と金運、結びのしやワラビは夫婦を結ぶという意味で、ワラビは笑う、搗ぐりは勝つという意味です。
では、何時頃からお雑煮で、庶民はお正月をお祝いしたのでしょうか。石山本願寺の年末の大掃除の後にも、お雑煮でお祝いをしています。お正月には、その組付として数の子やエビ、昆布等が添えられたと言います。
京都の町衆のお雑煮の記録は1824年(文政7)に商家に遺されていて、午前4時・丑寅の刻、に一家の主人が若水と八坂神社のおけら火で、おくどさんの火だねをしてお雑煮を煮たと言い伝えられています。具には餅、頭芋、昆布、大根、小芋、花かつををかけたとされています。ちなみに、元旦の天皇陛下の天地四方拝も丑寅の刻に行われ国民の安穏と国家の平穏をお祈りなさいます。
2019年12月に開催したおくどさんサミットでは、あぶり餅一和さんご当主ご一家に数百年伝わるお雑煮を頂戴しました。白味噌のお雑煮で、焼き豆腐、細大根、小芋、丸餅にかつを節をかけて頂戴しました。三種盛のごまめ、たたきごぼう、数の子を添えて頂きました。
京の老舗味噌店のご当主が、私見と前置きされて、「白味噌の文化圏は平家の落人の範囲ではないか」と申されたことがあります。おすましのお雑煮と白味噌のお雑煮、
丸餅と角餅の違いと昆布出汁とかつを出汁の境界線を関ヶ原と指摘する研究者が多いようですが、日本人の骨格の違いも関ヶ原が、境界線と述べる学者さんがおられることを思い出しました。
日本最古の飲食店・あぶり餅一和さんの元旦の行事も早朝から若水を井戸から汲み取り、お雑煮を作り、お灯明、若水、お鏡さんを各所にお供えして一年が始まります。清らかな若水と清めの火の力でお鍋で男衆が煮るという歴史を、今も受け継いでおられます。千年以上湧き続ける井戸と同じように、千年以上同じ場所で煮炊きに使われてきた、おくどさんがあります。が、今まで1020年間、火事は一度もありませんでした。
中国の伝統に寒食(はんし)という伝統があります。お雑煮を煮る浄火を汚さないために冬至から150日目の清明(春分の頃)に春には新しい浄火を迎えるための作り置きの食事のために、3日間の食事を大晦日に作って、重箱に詰めて正月三が日に頂いたと考えられています。
11月12月に京都の町内で行われていたお火焚祭は、中国からの伝統が入って、日本でも行われるようになりましたが、現在では神社等で行われることが主流となりました。