銀閣寺(東山慈照寺)の座禅石は活断層の怒りを鎮める為に中世に置かれた石

土居好江

東求堂前にある座禅石     

 元旦の能登半島地震に被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

 地震国・日本では地震対策の歴史があります。ある意味、自然との付き合い方を熟知したものでした。特に京都はその活断層運動によってつくられた山が盆地を囲み、京都盆地が出来ています。

 その山の中腹の活断層の割れ目から湧きいでた水のある処に神社や寺が建立されています。活断層地図を御覧ください。「国土地理院技術資料の都市圏活断層図 京都東北部第2版」にも銀閣寺周辺の活断層が記されています。

 私がこの地図を知ったのは阪神淡路大震災の時でした。立命館大学の高橋学先生の講義をお聞きして、6千年前の神戸の川だった場所と高速道路の橋脚が崩壊した場所が一致して、地震の揺れに耐えきれなかったということでした。ちょうど、阪神大震災の2週間前に、神戸で地震が起こると予想したということでした。

 土地の履歴を調べることで、次の地震を予想するという手法です。以来、この活断層地図を持参して、何回もフィールドワークを行いました。

 銀閣寺(東山慈照寺)は京都の東北、鬼門にあり、お茶の井泉の湧き水があります。このお茶の井泉は断層沿いにあり、すぐ北川には小川があって、大雨の時によく氾濫したと伝えられています。現在は上流に砂防堰堤がつくられて氾濫はなくなりました。

 このあたりは滋賀県朽木から鯖街道沿いに花折断層が走っていて、銀閣寺近くの花折断層は雁行・枝分かれして銀閣寺の庭園の東側を走り、法然院を通り南下しています。この断層が頻繁に動いたのは西暦800~1700年の間で、被害も大きかったことがわかっています。

 銀閣寺の東求堂の前にある錦鏡池の中にある坐禅石や池の側にある弁天堂は、この断層を鎮めるためにおかれたものと言い伝えられています。特にこの断層の地表近くで小断層に別れ、枝分れした断層が上下に動いた跡が見られます。被害が大きかったことが判ります。(図参照)

 このように活断層の怒りを鎮めるという発想が足利幕府の時代にあったことこそ、自然と人間の関係が同じ目線にあったことが推察され、感動さえ覚えます。「結界」や「要石」などは見えない世界で土地が守る働きがあると信じられてきました。

 天地四方拝も同じように歴代の天皇が元旦に天地に向かって国と民の平和と繁栄を祈り続けた行事でありました。祈りがエネルギーを発して京都御所、京都御苑に入る何故か安らぎを覚えるのは不思議です。ハーバード大学でも祈りの実証実験が行われています。京都の魅力は自然と調和した祈りが千年続いたエキスが源です。

 銀閣寺を建てた足利義政は8歳の時に将軍職に選出され、元服を迎えた15歳で正式に征夷大将軍として任命されました。幼くして大人に翻弄された人生だったでしょう。

 また、銀閣寺は銀箔を貼ろうという計画もあったという事実はありませんが、江戸時代に『洛陽名所集』というガイドブックで東山慈照寺を銀閣寺と案内して、一気に広まりました。金閣寺に対して銀閣寺というのは、とてもわかりやすいネーミングですね。

以上

 

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