音楽は薬、金属音は天との交信に古代から使われた音?! <1>    ~京都の不思議な薬効とは?~

土居好江

2014年7月17日撮影

 「田舎の学文より京の昼寝」という幕末の諺をご存知でしょうか。江戸時代の京都の凄さを表すものとして、語り継がれている諺です。現在風に申しますと、「田舎の3年より京の昼寝3日」です。もともとは「都に生れた人はどこか清浄で、田舎で学文した人より優れている」という意味です。

 本物で溢れていた江戸時代の京の都に滞在するだけで、皮膚から文化を吸収して、一流の学者になった方が本居宣長です。23歳から28歳まで『在京日記』で、京都遊学中のようすを綴っています。

 毎日のように神社仏閣を観光して酒びたりの日々を送っていたそうですが、本物の文化に触れて、学者として大成したと言い伝えられています。本物に触れたからこそ、目利きできる感性が得られたのでしょう。文化は皮膚からも感じ取られるのです。

 平安時代から1074年間もの間、首都の役割を果たして来た京都は、文化の発信源としても目に見えない文化をカタチにしてきました。音楽も目に見えないですが、耳で聞くことが出来ます。

 私は毎朝、音楽を聴いて一日をスタートします。喜多郎のシルクロードを聞きながら朝食の準備をしています。喜多郎さんとは京大の花山天文台のコンサートで何回かお目にかかり、その後のパーティでもお話をさせて頂きました。それから、すっかり喜多郎さんのファンになり、宇宙の中で生かされている自分を音楽から意識するようになりました。

 「自然界からインスピレーションを受ける。僕にとって、ある曲は雲であり、またある曲は水である」「音楽によって全世界を体感することが出来る」と喜多郎氏は語っています。

 川端康成先生の『古都』に、生き別れていた双子の千恵子と苗子が、祇園祭の宵山の御旅所で出会うシーンがあります。そこにも音楽が描かれています。

 祇園祭のお囃子はコンコンチキチンと呼ばれ、鉦(カネ)、太鼓(締太鼓)笛と3種類のアンサンブルで出来上がっています。

 平安時代の貞観5年(863)に神泉苑での御霊会の折にも音楽が奏でられた『三代実録』に記載されています。絵図にも「笛鉦太鼓をもって柏て囃す、これを祇園囃と名づく」とあります。祇園囃子が悪霊の鎮魂を担っているのは、この祇園囃子にあるのでしょう。祭礼に音楽はつきもので、太古の時代には天と交信する時、金属音を使ったと言い伝えられています。除夜の鐘も金属音で、お寺によって周波数が異なるようです。鉦、鐘の音は、何故か魂に響く音ですね。

 『古都』の中で紹介されている大佛次郎の『京都の誘惑』は、絶版になっていますが、「北山丸太にする杉の植林が層雲のように青い梢を重ねたのと、赤松の幹を繊細に明るく列ねた山全体が音楽のように木々の歌声を送ってくる‥‥」と記されていて、京都の音に対する考察が深いと感じていました。

 川端康成先生の『山の音』を執筆された嵐山のお屋敷に夜遅くまでお伺いした時、山の音、川の音が聞こえてくるような経験もあります。静寂な空間には自然の音、京都の音があるようで、永遠の探求課題です。

以上

Pocket