都をどりのかけ声・ヨーイヤサーと阿波おどり

土居好江


四条烏丸地下電子広告

都をどり・お茶席
 
祇園甲部歌舞練場

  2024年3月

 2025年の公演で151回公演を数える都をどり。都をどりの開幕の時、「都をどりはヨーイヤサー」が「始まる合図」と子どもの頃から思い込んできました。「ヨーイヤサー」は「ますます栄える」「代々栄える」「いよいよ栄える」という意味で、繁栄を祈る思いが込められた掛け声です。「弥栄(イヤサカ)」という言葉が由来とされており、行事や祭りを通して家や町の繁栄を願っていたのかもしれません。

 自然へ畏敬の念から、音や歌が生まれ、舞となって伝統芸能が生まれてきました。子守歌、田植え歌、稲刈り歌、炭坑節、また、自然には人間の耳には聞き取れない超高周波音もあります。

 太古から、日本では歌って踊って、あめつち(天地)の恵みを讃嘆し、感謝してきた歴史がありました。祇園祭の「コンコンチキチン」の金属音は天と交信する為の道具だったらしいのです。『古事記』『日本書紀』からフエ、コト、ツヅミ、カネが祭祀で使われ疫病退散を願い、天と交信して、お祈りしていたと、中川真大阪公立大学特任教授が推察されています。

 徳島の阿波おどりは「同じ阿呆 (あほ) なら踊らにゃ損々」と出だしがありますが、京都の豊年踊りに、そのルーツがあるのではないかとの説があります。 

 天保10年(1839年)、京都の豊年おどりに「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿保なら踊るがとくじゃ」が使われた記録があります。

 阿波おどりのリズムは2拍子で、都をどりのリズムは少し異なりますが、阿波おどりの足踏みと手首の回転は体内のエネルギーを活性化するようです。都をどりの京舞は阿波踊りほどリズミカルには動きませんが、日本舞踊のルーツ・舞を神に捧げて、神と交信するためのものだったことは、子供の頃から都をどりを楽しんできた京都人なら、なんとなく納得できるルーツです。

 元来、芸舞妓の踊りは座敷の狭い場所で、しっとりと舞う格調高い舞いです。今でもお茶屋や料亭の座敷で披露されています。この都をどりは大勢の観客の前で舞妓が並んで踊る形式を考案したもので、日本舞踊にとっても大きな転換点となりました。舞と踊りを組み合わせた「をどり」を151年前に考案されたのです。

 京舞・井上流の三世井上八千代氏と一力の当主・杉浦治郎右衛門氏が考案したスタイルでした。日本の舞は丹田から踊り、手の動き一つで気を包み込む踊りです。スペインのフラメンコはみぞおちから運動し感情に訴え爆発させる踊りで、マドリードで鑑賞した時は驚きました。文化や歴史の違いを踊りを通しても痛感したことを思い出します。京都の春の訪れは毎年、都をどりの開幕が合図になっています。

(過去に都をどりについて掲載しておりますので、HPの検索欄に都をどりを入力してご覧下さいませ)

以上

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