炬燵と火鉢

土居好江


江戸時代、浮世絵師 歌川国政の作品

江戸時代、浮世絵師 歌川国政の作品
昭和10年に販売された安全反射こたつ 
昭和34年サザエさんのマンガにこたつに天板が登場、
長谷川町子全集/長谷川町子」 朝日新聞出版

 平安時代から明治30年まで、日本には暖房という概念がありませんでした。手や足を部分的に暖めることで、部屋全体を暖める暖房という発想は明治30年以降に入ってきた概念です。京都には職人用の足火鉢というのがあって、足の甲を暖めて仕事をしたいと言います。現物を拝見したことがあるのですが、底冷えのする京都では大事な暖房器具だったと思います。

 私の父は結婚して最初に購入したのが、五条坂にあった萬壽堂の火鉢だったそうです。約1ヶ月分の給料と同じ金額で購入したと聞いています。現在はこの火鉢の出番がなくて、仕舞いこんでいます。海外では、この火鉢をワインセラーに使っているとか、いろいろな使い方があるのですね。

 こちらは江戸後期の浮世絵師 歌川国政の作品です。炬燵と火鉢は江戸時代の大事な暖房器具です。もう立春とは言え、まだまだ寒い日が続いています。京都では、同志社を創立した新島襄先生のご自宅にセントラルヒーティングが明治時代に導入されました。まだ五右衛門風呂やおくどさんのある時代に、最先端の暖房システムが導入されたのです。京都市指定有形文化財(1985年指定)で、とても見ごたえがあります。申し込みをすれば、無料で見学できますので、是非ともご覧下さいませ。

 昭和10年に販売された安全反射こたつは、それほど普及しませんでしたが、

 昭和32年「電気やぐらこたつ」が東芝より発売され、テーブルの天板に電気ヒーターを取り付けたこの商品は、気軽に足を伸ばして暖まる「電気やぐらこたつ」が大ヒット商品となり、多くの家庭に普及。大手家電メーカー各社も次々にこたつテーブルの製造に着手し、電気やぐらこたつのヒットから最大ピークを迎える17年間に、4500万台のこたつテーブルが売れたと言われています。昭和49年、こたつテーブルの出荷台数はピークを迎え、その数はなんと368万台の販売だと言います。こたつは全国の家庭に行き渡りました。

 室町時代から500年、こたつの歴史は天板とやぐらこたつで、日本独自の発展をしてきました。

以上

Pocket