日本人の美意識・京都の美意識
土居好江
矢尾定の予約案内札 |
2024年の春頃に撮影
四条新町下がった所にあるご飯処矢尾定https://www.yaosada.com
は、京町家の人気のお店です。美味しい和食を求めて開店前から行列ができるほどです。そのお店で見かけた予約案内札が、ほっこりします。カウンター席に置いてあった予約案内札は、「もうちょっとで 来はります」と書いてあります。「ご予約席」というのでは、あまりにも無機質ですが、こういうご案内なら、ほっこりしますね。
予約しているお客様も、この予約札を御覧になった他のお客様も、お互いにほっこりするのが京都洛中のおもてなしでしょうか。
先日、娘にある話をしました。「ある父親が遺言として、この古い時計を時計屋さんに行って、いくらの価値があるか聞いてきなさい」と。息子は「古い時計だから500円の価値がある」と時計屋さんに言われたことを伝えました。すると今度は「美術館に行って、値打ちをみてもらってきなさい」と。「美術館では、この時計は1憶円の価値がある」と鑑定したと。
父親は息子に、「あなたも自分の価値がわかる処に身を置きなさい」と諭したと言います。目利できる力量によって、これだけ価値が変わるという一例ですが、日本の美意識も西洋とは異なります。
私の事務所の近くに金継をする工房の取次所があります。欠けた茶碗や割れた食器を修理する日本の伝統的な修理法ですが、西洋では欠けた食器は価値が下がりますが、日本では、欠けた茶碗に金継をして補修することで、更に価値があがるのです。これが日本の美意識です。それで、金継のできる職人を紹介してくれます。
秀吉の茶碗を家来が割って、それを金継で補修した大井戸茶碗は、5つにわれた茶碗を見事に蘇らせて、現在に伝わっています。西洋では、割れたティーカップは価値のないものとして、ゴミ箱に捨てられますが、日本では、更に価値を高める金継をして使います。これは利休の美意識です。わび・さびという時間の経過を楽しむ文化です。
鷹峯にある常照寺の山門のところにコンクリートで塗り固められているのですが、何年も経つと、人々が通ったところがすれて、下の砂利が見えてきます。つまり、これも曙漆と同じ手法で、時間が経つと砂利が見えてくるように砂利を敷き詰めて、その上からセメントを塗っているのです。なんとも、奥深い日本の美意識です。露地に砂利を弾き詰めた利休の発想と共通していますね。
なにげない日常の風景を更に芸術性を高めた利休の哲学が、現在も私たちの文化に根付いていることを、とても嬉しく誇らしく思います。
以上