京都の引力Ⅲ 平安京1200年 (財)平安建都1200年記念協会発行

土居好江

平成6年(1994年)発行された『平安京1200年』 (財)平安建都1200年記念協会発行    

 京都人は平安京建都という言葉を使います。本来は平安京遷都ですが、ここに京都人の特質があらわれています。平安建都1200年記念協会が発足しました。平成6年(1994年)平安京を創建して1200年の佳節を迎え、「平安建都1200年事業」がすすめられました。和風迎賓館の建設、京都コンサートホールの建設、関西文化学術研究都市の建設等が取り組まれました。

 その後、2006年3月に「平安建都1200年記念協会」が解散し、4月に「公益財団法人京都文化交流コンベンションビューロー」として、理念を受け継ぎ発足しました。

 100年前の平安遷都1100年事業は琵琶湖疏水の開削、日本初の水力発電の建設、市電の開通等、勧業策が実施され、近代化に大きな一歩を踏み出しました。この時は遷都という言葉を使っています。

 1074年という長きに渡り、一国の首都であったことは、世界に類をみないものです。京都という場所のエネルギーが千年以上も輝き、日本の文化のアンテナとして機能していたのです。

 100年前には平安神宮が建設され、時代祭が始まります。近代化を推進する中で、桓武天皇や平安時代を偲ぶ平安神宮が建設されたことは、京都人の意志を表しているようです。首都の移転で京都の地盤沈下に立ち上がった町衆は、平安神宮の地鎮祭の折、町内毎に揃いの浴衣を着て、三日三晩も踊り明かしたと言います。更に家路につく途中で事業所を見つけては、踊り込みまでして喜びを表したそうです。

 こういうことが、京都の歴史を語る上で、とても大事なポイントであると私は思っています。隠れた歴史ともいう、町衆の想いが、王城の地・京都をつくりあげたのだと、思います。

 京すずめの活動は、こういう隠された物語の歴史と文化を語り継ぎ、伝統的価値観を未来に繋ぐ架け橋の役割を果たしたいと願っています。

以上

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