京すずめの資料整理から

「ミス京都」「ミス日本」応募の受付窓口は京都市広報課でした!
日本経済新聞2002年の「山本富士子氏私の履歴書」より                                   土居好江

1949年ミス日本の応募された当時の写真

 

    2001年の創立以来、行事や企画の為の膨大な資料や書籍を、整理しています。一つひとつテーマ毎にファイルしているので、判りやすく懐かしく読みながら整理しているので、なかなか進みません。その中に2002年の日本経済新聞の「私の履歴書」山本富士子さんの記事と、日経の記者さんからのFAXがありました。 

 当時は京すずめ学校の「京都水物語」のカリキュラムに「鴨川の産湯を使った京美人」のテーマがあり、この記事を読んで山本富士子さんに井上章一先生との対談をお願いしようと思ったのです。井上章一先生は1995年発刊の『美人論』がベストセラ―になり、一躍有名になられた頃でした。

 そこで、京すずめ学校の企画をお知らせしてご協力賜りたいと、日本経済新聞の文化部にお手紙をだして、山本富士子さんに、ご連絡をお願い申し上げました。ある日、日本経済新聞社の文化部の方からお電話を頂き、「山本富士子事務所に繋ぎましたので、お電話をしてください」と、重ねてFAXも頂き、早速ご依頼をさせて頂きました。

 マネジャーさんからは後日。芸能生活50周年にあたる本年は多忙で京都に行く時間がとれないと、ご丁寧なご連を頂きました。「とても面白い企画で、残念です」と山本さんも仰っていたそうです。

 私が興味をもったのは」「ミス日本」、の受付窓口が京都市広報課であり、お父様のご友人の広報課の方から応募のお誘いがあって、山本富士子さんが「ミス京都」に選出され、更に「ミス日本」に選出されたと「いうことでした。

山本さんは1949年に京都府立第一高女を卒業され、タイミングよく、京都市広報課がミス日本の窓口であり、そこの広報課の方からのお誘いがあったということが、とても興味深いものでした、

 この記事を読んで京都市広報課に当時の資料が残っているかどうか、お聞きしました。残念ながら保存期間は20年間ということで、拝見することはできませんでした。

今、振り返ると、お顔も存じ上げない多くの方々にお助け頂き、今日の京すずめがあること、感謝の気持ちで一杯です。京すずめに関わって下さる、すべての方々に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

 ちなみに、井上章一先生との対談にはミス着物にお越し頂きました。有難うございました。

以上

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