お箸とフォーク、爪楊枝

土居好江

 

 日本で初めてお箸を採用したのは聖徳太子で、箸食制度を朝廷の供宴儀式で採用したのが始まりとされています。小野妹子が中国へ派遣された時に、中国ではお箸で歓待され、608年(推古天皇時代)に、日本へ一緒に帰国した隋使ら12名と宮中で、最新の箸食作法による宴を催します。二本の棒状の箸が使われました。これが、日本で最初に箸を使用して食事をした歴史的な第一歩です。(箸食制度発令)この時の箸は檜、杉、みずきの素木を割った量口箸、片口箸でした。

 中国の遣隋使の来日によって、お箸の作法が日本でも取り入れられます。それまでは、手食だった作法が、中国式の箸食作法が取り入れられました。8世紀の初めに平城京の造営と共に箸食制度も本格的に取り入れられ、手食から箸食へと生活革命が行われたのです。代表的な寺院も積極的に箸を取り入れ、次第に箸での食事が普及していきました。

 しかし弥生時代末期に神器としての「折箸」という竹を細く削りピンセットのように折り曲げたものを神様にお供えする時だけに用い、一般的には普及されてなく、当時天皇だけが、このピンセットのような箸を使用していたとされています。正倉院に現存しています。今、使用されている箸の原型がその時代に使われていたのには驚きです。中国では現在も同じ太さの箸を使われています。日本に来られた中国の方は、日本の箸の使い易さに感動されているようです。

 現在、お箸は人類の三割、フォークも人類の三割、四割の人類が手食で食事をしています。

 箸とナイフ・フォークの置き方は文化と歴史の違い 

 日本では、太古から秋の収穫の折には無事に収穫できたことを神様に感謝して、神様にもお供えをしてから食事を頂きます。祭でお供えしたものを神様と人が共に頂く神人共食という意味が、祭の最大の行事でした。箸の両端が一つは神様が、もうひとつは人が使い、神と人が合一である証として両口箸を用います。

 このように日本古来の神様にお供えしてから頂戴するという風習が神様と人間の結界にお箸を置くのです。ですから食事する人と平行にお箸をおきます。お箸は右手の代わりで最初から和食は小さく切り分けて盛り付けますが、西洋料理は肉の塊をフォークで刺して、ナイフで切り分けるという両手を使って食事をします。お箸は挟んで料理を口に持っていきます。右手で箸を持ち、左手で器をもって食するのが日本式で、西洋は両手でナイフとフォークを持つので、器はテーブルに置いたままで食します。ここが一番異なるところです。

 西洋のナイフとフォークは両端から食事に合わせてナイフとフォークを取って食するので食事する人に垂直に置きます。

 農耕民族の日本人と、狩猟民族の西洋との違いが、こんな食事作法にも垣間見ることができます。

 一年で一番おめでたい日が元旦ですが、この日に使うお箸は白木箸で、両口箸となっています。これは、一方を神が使い、もう一方を人が使う“神人共食”の意味があります。中太両細で。“太箸”“俵箸”“はらみ箸”といって五穀豊穣、子孫繁栄の象徴として使用しています。この両口箸はハレの日のお箸として、冠婚葬祭や本膳料理などの正式の箸として使用されています。

 このお箸に水引の箸紙(箸袋)に入れて、各自の名前を書いておくと、なお一層のめでたさが味わえるものです。

 お祝いに欠かせない雑煮は、昔は保臓と呼んで、五臓を強くして健康を保持する意味がありました。お餅を主としながらも様々な具材を入れて頂くもので、中国や朝鮮でもこの習慣は残っています

 レストランや料亭に行くと、必ず爪楊枝が食事の最後に提供されます。これは驚きなのですが、10万年前のネアンデルタール人も爪楊枝を使っていました。歯の化石から筋状の爪楊枝の使用した跡が発見されています。日本に爪楊枝が伝わったのは奈良時代で仏教と共に仏具として伝来しました。

 また、釈迦は (紀元前500年)は弟子たちにニームという木の枝を使って歯を磨くことを教えたことが、爪楊枝と歯ブラシのルーツであると言われています。身を清めることは食の入り口となる歯や口を清めることからであるということでしょうか。ですから、爪楊枝は日本に伝来した時は仏具だったのです。

 中国ではこのニームという木がなかったので楊柳(ようりゅう)を用いていました。柳の枝が楊枝 (ようじ)と呼ばれるようになったのです。

 楊枝をいつも携帯することで、僧侶と親交のあった貴族に楊枝が伝わり、朝、楊枝で歯を磨くことが習慣として伝えられていきます。これが江戸時代に歌舞伎役者や遊女が使い一気に庶民に伝来していきます。これが歯ブラシとして使われていた房楊枝として伝わっていくのです。

以上

 

 

Pocket