祇園祭に想う・京の文化遺伝子 ものごとの考え方には‥‥

祇園祭の期間だけ開けられる御手洗(みたらい)。宵山から還幸祭まで手洗水町(てあらいみずちょう・烏丸錦上がる)にある御手洗が開けられます。八坂神社本殿と地下で繋がっているという伝説があります。

土居好江 

  太古から、日本では歌って踊って、あめつち(天地)の恵みを讃嘆し、感謝してきた歴史がありました。祇園祭の「コンコンチキチン」の金属音は天と交信する為の道具だったらしいのです。『古事記』『日本書紀』からフエ、コト、ツヅミ、カネが祭祀で使われ疫病退散を願い、天と交信して、お祈りしました。

  自然へ畏敬の念から、音や歌が生まれ、舞となって伝統芸能が生まれてきました。子守歌、田植え歌、稲刈り歌、炭坑節、また、自然には人間の耳には聞き取れない超高周波もあります。

 古代の日本では、桜前線は普段は山に住んでいる神が、山里から降りて人里へ降りてくる前兆現象と考えられていました。「サ座」と書いて「さくら」と読み、サ座は山の神(穀物の神)を意味し、桜が満開になると田植えの時期であると教える暦の役割をしていたと考えられていました。

 さ神の依る桜(サ座)の木の下で、さ神にさけ(酒)やさかな(肴)をささげておさがりを戴くということで、桜の下でお酒やご馳走を戴く習慣がありました。またお供えするだけでは、物足りないということで、歌を歌ったり、奉納舞を鑑賞するようになってきました。さ神の貴賓席が桟敷で庶民は地面の芝の上で鑑賞したので芝居という言葉が生まれました。

 このお花見は日本独特の風習で、英語にも訳せません。ピクニックではなくお花見は英訳できません。もったいない、いただきますも英語には相当する言葉がありません。日本独特の文化です。

 最近、祇園祭のプレミアム観覧席の是非を問う新聞記事が増えています。「信仰か観光か」と、ほとんどの記事が、二元論的に論じています。しかし、京の文化遺伝子的に申し上げると「神事でもあり、観光でもある」というバランスよく折り合いをつけて、落とし込めるのではないでしょうか。

 歴史を顧みても、応仁の乱後、途絶えていた山鉾巡行を再興し、町衆の祭として定着、神輿渡御などの神事と共に継承発展してきました。疫病退散からスタートした祇園祭が、在も同じスタンスで行われていると思っています。

 清水寺も大昔から信仰と観光が一体化した人気のお寺でした。30年程前に清水寺の住職から、何回もお聞きしたことがあります。観光も楽しめる信仰のお寺ということでしょうか。

 京の文化遺伝子を受け継いだ考え方で、知識が知恵になるよう祇園祭のプレミアム観覧席等の対処をしていくことで、良い方向へ向かうのではないでしょうか。

 富裕層対策としてのプレミアム観覧席であるならば、京都には富裕層がお土産を買う店がないと、よく指摘されます。プライベートジェットで訪日する方々が搭乗する飛行機の雑誌編集者を、ご案内した時にも指摘されました。京都が本来の国際観光都市として成熟するため、信仰と観光をバランス良く継承したいものです。

以上

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