目利きの京都・見えないものを見る力

                                                                                                                                                       土居好江
京都は目利きのまちと言われます。目利きとは、簡単に言えば本物と偽物を見分ける力のことです。モノの価値を正しく評価できることです。勿論時代によっても、評価は変わります。人間にとって価値があるかどうか、普遍的な評価・判断ができると言うことでしょうか。目先にとらわれず、長期的に、人間にとって最上の判断ということでしょうか。

 京都は1074年間、日本の都であり世界でも稀有のまちです。そこの住む人々は目利き名人が多く、それが当たり前になっていました。京都の技術も食も究めつくされています。

 京都に帰省した娘から厳しい言葉をもらってショックをうけました。「目に見えないものを見る力がなければ京すずめの活動は進まない」と。このことが頭から離れず、目に見えないモノを見る力とは何かを考え、やっと、今日、答えがみつかりました。  

目に目いないモノは目に見えるカタチとなって現れます。潜在意識が顕在意識となるように、志や生き方が自然の恵みや法則に従って無駄がないことでもあります。目に見えない波動は行動や生き方に現れます。謙虚にすべてに学ぶ姿勢で生きていくことなのかと。

京都の老舗で創業620年の御昆布所(おんこんぶどころ)と呼ばれ、かつては天皇の経済ブレーンを務めた松前屋は御所の清間(きよい)所という松前屋専用の台所がありました。天皇の御膳には昆布が必ず付いていました。明治になった後も京都にとどまった松前屋は、「こだわり」と「誇り」を持ち、商品開発をしています。

代表商品の「比呂女」(昆布の生菓子)は、道南最高品の真昆布を、五年間蔵で寝かせた後、1ヶ月かけて米酢で丁寧に戻します。良い部分だけを短冊に切り、じっくりと炊き上げ、その後、1年かけて自然発酵さ」せるというるというお手間入りの生昆布の菓子です。気の遠くなるような行程で販売される美味な昆布を見ても、極上の一品と言えます、こういうことができるのが京都の職人魂です。

そういう意味で、京都の老舗は、拡大を目指す「ナンバーワン」ではなく、こだわりと誇りをもって「オンリーワン」を目指してきました。言い換えれば、京都ならではの技術や文化、伝統を盛り込んだ商品を、高い感性をもって究めていくことに、京都の老舗としての価値があるということです。こういう経営哲学が京都の老舗の精神です。

 随分昔に松下幸之助氏の講和ビデオで心したことがあります。「達人と名人に違いは、上手(うまい)とか上手(じょうず)ではなく、長年の下積みが積み重なって道を究めた人が達人であり、修行によって直感が磨かれ究めていける。庭掃除にも学ぶことは沢山ある。素直な心で修行することで、その道を究めることができる。すべてが修行の糧となる」と、おぼろげながら覚えています。

我が家には「素直」という幸之助氏の額があり、いつも目にするたびに素直な心で取り組むように自身に言い聞かせています。

 京すずめ創立以来、多くの達人にお目にかかり、共通項がある京都の商い、伝統的職人さんの技術等について、 目線を広げ高め、自分自身の殻を脱皮することができました。そして、生きるエネルギーを蓄え高めることもできました。これからも、更に京すずめで楽しく。目に見えない力を見えるように発信して参ります。
以上

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