地蔵盆
土居好江
下京区二畳半敷町 町内会の地蔵盆 2022年8月26日
夏の終わり頃、京都では地蔵盆が行われます。これは江戸時代初期から行われている京都の町内の行事です。しかし、江戸時代では地蔵会、地蔵祭と呼ばれていて、地蔵盆という呼び方は明治時代以降になって、文献に登場します。京すずめのスタッフからの情報では、京都以外の処でも8月の終わりに地蔵盆の行事が行われているようです。お地蔵さんを祀り、厳格な儀式でないが大人と子供が楽しめるようになっているようです。他地域の事は調べていませんが、その地域なりの趣向で行われているように思います。
烏丸通沿いにある京すずめの事務所の近く、下京区二畳半敷町では、毎年烏丸通仏光寺を上がった株式会社タムラの社員さん方が地蔵盆の準備をなさっていました。二条半敷町とは烏丸通の東西両側を含んで、綾小路通から仏光寺通までの範囲です。この町内でお子様のおられるご家庭は一家族だけだそうです。ほとんどがオフィスビルですが、地蔵盆の行事は毎年続いています。
2022年は8月26日午前11時から地蔵盆は行われました。読経があり、それぞれがお詣りします。お祀りしているお地蔵さんは、いつもは、祠の中に安置されていますが、地蔵盆の日には祠から少し移動して、同じ敷地内に作られた地蔵盆のテントの正面真ん中に祀られます。
この二畳半敷町の地蔵盆は株式会社タムラの敷地で行われ続けています。創業150年を超える老舗です。京都は他の地域と異なり、平安時代から地域共同体の町が形成されていて、五条通以南の稲荷社の氏子、二条大路から五条大路までの祇園社の氏子、二条以北の氏子は御霊社(現上御霊紗、下御霊社)の氏子が一かたまりでした。
地域共同体という視点から見ると、町内の共同意識が地蔵盆を盛り上げ、江戸時代は大人も子どもも楽しんだ行事だったようです。一晩中「通夜して酒もりあそべり」と大人も楽しんだ様子が滝沢(曲亭)馬琴の『羇旅漫録』(きりょまんろく)(享和3年・1803)に36歳の馬琴が京都のことを記しています。
京都では室町末頃から町掟があり、町内会費からこの地蔵盆の費用が支払われていたと記されています。江戸時代から、このようなシステムが確立されていたのは驚きです。次世代へ受け継がれる行事が、このように洛中のビジネス街でも、毎年開催されていることに京綴人の底力を感じます。
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