京都ではいつも柊家に泊まって
柊家の紹介文 (川端康成先生)
京都ではいつも柊家に泊まって
あの柊の葉の模様の夜具にもなじみが深い。京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛蒲団に女中さんが白い清潔なおほいをかけるのを見ていると、なじみの宿に安心する。遠い旅の帰りに京へ立寄った時はなほさらである。柊の模様は夜具やゆかたばかりではなく、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にも、みだれ箱や屑入れなどにも、ついているのだが、その柊は目立たない。この目立たないことゝ変わらないことは、古い都の柊家のいいところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ち着かせたものだが、それも変わりつつある。柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。
京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨を見たり聞いたりしていると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。私は旅が好きだし、宿屋で書物をする慣はしだが、柊家ほど思い出の多い宿はない。京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた。浦上玉堂の「凍雲篩雪図」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、柊家は古都の一つの象徴であろう。
私は京阪のほかの宿で泊まった後でも柊家へ落ちつきにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。
川端康成