黒澤 明監督の愛した京都

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京すずめ学校 京都愛物語 (京すずめ瓦版)

黒澤 明監督の愛した京都の講座から 2008年9月21日開催分

「京の宿 石原」ご当主 石原治様、石原弘子様の講演

黒澤監督の定宿だった「京の宿 石原」の黒澤ルームにて開催

 黒澤明監督が京都ロケの折、また思索、ロケハンの折に15年間、定宿だった京の宿石原の黒澤ルームを会場に「京すずめ学校」の京都愛物語のカリキュラムの一つであり「黒澤明の愛した京都」の講義録を京都への恋文として掲載させて頂きます。

 「京の宿 石原」のご当主・石原治様と女将の石原弘子様に黒澤明監督について、語って頂きました。

 

【黒澤明監督とのご縁】

 初めて監督が、こちらにいらっしゃったのは「影武者」のロケハンの途中のことでした。黒澤組の上野さんのご縁で、うちにこられたのです。黒澤監督自身は身長が183センチもあったので、鴨井などによく頭をぶつけていらっしゃいました。

 なぜか、この宿をとても気に入って頂きました。そして、多くの脚本が、この部屋から生まれたのです。

【黒澤ルームでの執筆】

 監督はこの2階の部屋をいたく気に入っておられました。坪庭に面した窓辺に机を、控えの間にはベッドを置いて、執筆されていました。机はもともと、うちにあった学習机ですし、特別にご用意したものではありません。

 執筆は朝9時か10時から、夕方6時からは食事の時間になるのですが、そのまま深夜1時、2時までの映画の話をするというのが、監督のここでの生活でした。

【黒澤監督の人柄】

 「おやじ、僕はアーティストじゃないよ。職人だから、一生懸命、仕事をするんだよ」晩酌しながら、お聞きしたことです。ここにある古美術品を見て、「一生懸命、職人が作ったものは良い」ともおっしゃっていました。

また「ブランドは自分が決めたモノがブランドになるんだ。人が決めるものではないよ」という言葉が印象的です。ほんまもんとは何か、確固たる哲学をお持ちでした。

【石原のおもてなし】

 私たちが大切にしているのは、先祖が残こして頂いた建物を大切にしながら、ありのままの自分を出して対応することです。黒澤先生は「そっちが緊張したら、こっちも緊張するんだよ」とおっしゃいました。おもてなしの心があれば、自ずとつたわるものだと教えて頂きました。

 またお客様には三分で来て、七分で帰って頂いたら大成功だと思っています。だしすぎないことが大事なのです。

【黒澤監督の愛した京都】

 「石原に来たらほっとする。まさしく京都に居る、という気がする」監督がおっしゃるのは、何故でしょう。石原は何の変哲もない町家ですが、例えばこの部屋の面取りの柱であったり、畳や建具にも職人が手掛けた細かい工夫や仕事があちらこちらに散りばめられています。

 京都は約千年もの間、都がありに天皇がいて、職人は競争して持てる技術を切磋琢磨しました。そうして磨き上げられてきたので、京都には衣食住のほんまもんがあるんです。京都にはそうした職人たちや住み人たちの技術や想いが歴史となって積み重なっています。

 そういう空気や空間が京都の素晴らしさですし、それが監督の愛した京都だろうと思います。ですから、わざわざ京都に来られて、この石原の、この部屋で多くの素晴らしい映画の作品を作りあげたのでしょう。

【想いをつなぐ宿】

 もともと、石原は古美術商でしたが、宿屋としては昭和35年に呉服屋の商人宿として始まったそうです。ですから、老舗旅館というわけではありませんが、あちこちに古美術がさりげなく置かれ、また、ご主人の手作りの灯りや小道具もあり、とても落ち着いた雰囲気です。

                               以上

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