審査委員長 川端香男里氏の講評
2013年5月26日
まず自己紹介をしなければいけません。
私は現在鎌倉に住んでおりますが、残念なことに鎌倉は今回世界文化遺産には選ばれませんでした。今、残念と申し上げましたが、鎌倉市民はある意味では、ほっとしております。
京都に対抗して「武家の古都」という看板をかかげましたが、古き「武家の」文化伝統が今の鎌倉にどれだけ残されているか、ということは大変疑問です。今は巨大都市東京の手っ取り早い観光・娯楽都市として賑わっておりますが、押し寄せる車や人の洪水で週末など大変な混雑ぶりです。もし文化遺産に登録されたら、富士山の騒ぎを見てわかりますように、どっと人が押し寄せて町全体の生活が崩壊しかねません。それほど鎌倉の生活基盤は脆弱です。そこで思いますのは、京都と鎌倉の違いということですね。京都の方が鎌倉よりずっと長い歴史をもっているという問題ではなくて、そこに住んでいる人々の意識が問題なのだと思っています。鎌倉が世界遺産として認められるためのお手本は、まさに京都にあると思います。
ところで世界文化遺産の落第生である鎌倉の人間が、京都の市民が盛り立てている賞の審査委員長をしているというのはどういう事かと思われるかもしれません。実は一番不思議に思っているのは私自身ですが、この間のいきさつについては後ほどお話申し上げます。
川端康成の没後、多くの人々のご協力で川端康成記念會という財団がつくられました。優れた短編小説を顕彰する川端康成文学賞の授与が中心の文化財団ですが、日本の文学の創作ならびに研究に対する力添えが出来ればという趣旨でつくられております。今年の4月1日に公益法人になりましたので、国際的な貢献、鎌倉市の文化都市としての発展への寄与という方向も目指したいと考えております。
5年ほど前に大学を退職して以来、もっぱら川端財団の運営に携わっておりますが、専門としておりました比較文学・ロシア文学の領域ではまだ現役のつもりでおります。来月もNHKに頼まれて、トルストイの『戦争と平和』についての解説を担当しますので、改めてこの『戦争と平和』というあの膨大な作品を読み直してみました。これは長大な作品で、なかなか読み切れずに多くの人が挫折をしてしまうようですが、それは読み方が悪いのであって、これほど面白い楽しい小説はないと私は思っております。この小説は1812年という年に焦点を合わせてロシアの歴史を描いています。ナポレオンの率いるヨーロッパ連合軍がロシアの国内に攻め入り、ついには首都モスクワが大火で全部燃えてしまうという悲劇にロシアは見舞われます。
退却に退却を重ねたロシアは結局ナポレオンの大軍に勝利するのですが、その勝った秘訣というのは、ロシア国民がお互いに優しさというものを持っていたということです。人と人とが本当にその優しい感情で結ばれる、そこで国民がひとつになれて、その結果ナポレオンの軍隊を追い払うことができたという物語だという風に言い切れるように思えました。それと比べて今の日本の状況を考えますと、これはあの1812年のロシアよりもっと大変な危機に襲われつつあるのではないかというような気がします。で、そのような時に軍備的な対応を重視する人がいるかもしれませんが、やはり国民同士がお互いに優しくなるということが何より大切と思われます。「京都への恋文」もそういった意味で、つまり国民が互いに優しさを取り戻すという意味では、非常に重要な仕事なのではないかと思います。ちょっとこれは脱線しました。
「京都への恋文」を主宰する京すずめの土居好江さんとの出会いについてお話しておかねばなりません。これまで川端財団の仕事で「川端康成コレクション展」を京都で二回させていただきました。川端康成と親交のあった東山魁夷という大画家がおられますが、その東山さんに康成は「あなた是非、京都の今の姿をとどめるような、そういう作品を描いておいてください」と、かなり熱心にお願いしたんだそうであります。それで東山さんが描かれたのが、例の『京洛四季』ですね。これは京すずめの趣旨とも合う仕事だと私は思いますし、二人の芸術家が、いわばタッグを組んで戦後一時期、日本の文化のために色々尽くそうとしたという事は、やはり現在私がやっております財団法人の仕事としても非常に重要という風に考えております。「コレクション展」を始めて、現在20年になりますが、その過程で東山魁夷さんが同時に大変なコレクターであったということが判明いたしました。そのコレクションが一度も公開された事がないものですから、川端康成と東山魁夷のジョイントコレクション展というのを現在展開中であります。
京都で開催した二度の「コレクション展」の際に講演する機会がありましたが、しばらくして遊悠舎京すずめの土居さんから「川端康成と京都」というような話をしてくれないかという依頼をいただきました。京都には当年106歳になる叔父もおり、友人もいて、現役教師だったころには学会でよく訪れる京都は何か身内のような感じをもっていましたが、土居さんとお付き合いしていると、より奥深い京都の中に引きこまれて行くような気がしました。「京都への恋文」の審査委員長を引き受けるまでに話が進んで行った経緯は私自身にもよく分かりません。何かに魅せられたように自然の成り行きでそうなったとしか言いようがありません。
「京都への恋文」―この発想は実に見事です。恋文とは思いの丈を語るものだと、どなたもお考えでありましょうけれども、しかしただこの「恋文」には制限があります。ハガキ一枚に入る、という事が条件です。思いの丈と言ってもどんどん喋りまくられ書きまくられては逆効果になります。日本の場合は短い文で自分の気持ちを伝えるという伝統的な文化があって、中学生や高校生もしっかりとその伝統を身に着けています。先ほど京都府知事賞を受賞された鈴木さんが、初めてお書きになったというけど、これはもう血の中に流れている伝統なのでしょう。こういうものを書けるのが日本人なんですね。日本の短詩形を、外国人に説明する時に、例えば芭蕉の一句を説明しますと、学生はキョトンとして、それからどうしたの?という表情を見せます。「古池や~」と一句を説明して、それで終わっちゃうとそれで作品が終わるということが彼らには理解できないのです。このように多くのものを削ぎ落とし切りつめて表現するのが、日本文化の非常に大きな特徴でしょう。
「京都への恋文」の応募作品の中には、今言ったような日本人の血の中に流れているものが、全て表れているように思われます。日本人が伝統的に持ち続けた切り詰めた表現の強みは、それが具体的であると同時に非常に象徴的である点にあります。言葉の持っている喚起力、なにかを呼び出す力が非常に強いのです。例えばここにアトランダムに取り上げますと、例えば15歳の高校生の方がお書きになった京都新聞社賞の作品ですね、「打水や 石のかをりの やはらかさ」これ外国人が聴いてもわからないですよね、絶対わからないと思います。15歳の歌とは思えないですよね。
これはやはり教育の力もあるけれども、教育以前に伝統的に日本人の血の中に流れているものがあるのではないかと思われます。その精神は音数律で切っているわけではない普通の文章にも見事に表れています。中でも京都市長賞の五十嵐さんの文章には感銘を受けました。
絵手紙に関しましては、八百何十通ともなりますと、整理するのが大変な仕事になります。京すずめの方々の大変な努力できちんと整理されて、審査委員のほうに廻ってくるわけです。絵手紙の愛好者は今や大変な数を数えるようになりました。絵手紙は絵と言葉の両面から成っていて、言葉を主体とする文章、俳句、短歌などとは違った選考基準を審査委員側が考えなければならなくなります。
絵手紙のデータは事務方の方でいろいろと審議され整理された後で、我々の方に廻ってくるのでありますけれども、審査委員の予備的投票をまとめてもらいましても、票がまとまらず皆が2、3票ずつとるという拡散した状態になってしまいます。本当に意思がばらばらなんです。ところがこれが不思議なところで、実際に審査委員が集まって、現物を目の前にして色々と議論し始めると、何故か不思議にまとまってくる。
なんでそういう事が起きるのか、つまり一人一人がばらばらに独立して評価をすると、まとまった結果が何も得られないのに、集まって、話し合いをしあうと、何か別の神様がいて、それが降りてきて皆にとり憑いて話が決まる、まあ、そういうような感じで落着するのです。という事はつまり私自身委員長として何もリードしていないのですが、神様がやってきて雰囲気をまとめてくれるという、そういった印象であります。
これは私の個人的印象に過ぎませんが、いろいろな立場の人が一堂に会するということが大切なのです。それも議論をして投票で決着をつけるためというのは論外のことです。賞の選考は優劣という基準をつけるということで、そういうことに違和感を覚える人もいるでしょうが、いい作品を優れていると一同で認知した後の気分は格別です。私たちの賞の審査は、私が鎌倉からひょっこり出てくるということもあって、しょっちゅう会うというわけにはいきませんが、その前に事務方で、しっかりと議論を重ねて整理をして、あらかじめしっかりとしたアンケートを審査委員が出して、その上で最終審査をやる、という手順を守っています。そこで、神様が降りてきて、なんとなしに一番いいものはこれじゃないか、と囁いてくれるんですね。おかげさまでなんとか2回の山場を越したかと思いますが、今度は皆様の賞に対する評価を私達としては聴きたいと思っております。
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