第六回京都への恋文 入賞作品

第六回「京都への恋文」「京都からの恋文」入賞作品

講評

京都への恋文審査委員長
      井上 章一

 今回も、多数の応募をいただきました。ありがとうございます。エントリーが多いと、審査はむずかしくなります。でも、やりがいはあります。うれしい悲鳴をあげつつ、とりくんだしだいです。

 課題は「京都への恋文」になっています。そのせいでしょう。手紙文らしい文章でくみたてられた応募案に、審査員の共感はあつまりやすくなります。字数の多すぎる論述型は、ちょっとつらい。また、少ない俳句や、コピーの標語めいたものも、とりあげにくいかな。今後の参考にしてください。

 もちろん、こちらの予感をうらぎる寸鉄の一文も、わたしとしては期待しているのですが。

 絵や写真も、きちんと評価をしたいものです。ただ、対象が京都になっているせいでしょうか。応募者の多くは、よくある美しい京都の構図をえがきだしがちです。悪く言えば、絵葉書の亜流めいたしあがりになりやすい。

 京都はほめられやすい街です。そこは、美人とつうじあう。そして、美人はきれいだと言われなれています。恋文としては、京都じしんも気がついていないところを、指摘してほしいものですね。

 今回から、「井上章一賞」がもうけられました。はずかしいかぎりです。わたしとしては、ひかえめにすごしたいところなのですが。

第六回京都への恋文入賞作品一覧

京都への恋文大賞 芝山つかさ  京都府京都市
「うちの子と結婚するんやったら、8月16日、登ってみる?」
初夏のある日、付き合っていた人のお母さんからそう言われた。
嫁ぐ予定の家は、先祖代々から五山の送り火の保存会を継ぐ家系だった。
体力にも暑さにも自信がなかったけれど、私は二つ返事で
「はい!登ります!」
と答えた。
だって、子供の頃から憧れていた送り火だもの。
私が関われると聞いたら、父も母もきっと喜んでくれるはず!
夏が苦手なことも忘れて、ワクワクしていた。

その日から16年が過ぎた。
点火役に回ったことで、五山の姿は見られなくなってしまったけれど、私はきっとこれからもお山に登り続けるだろう。
「登ってみる?」と言ってくれたお義母さんはもうこの世にいない。
娘が送り火の手伝いをするんや!と喜んでいた父ももういない。
だけど、私は大切な人たちに誓い続ける。
また次の夏に会いましょう!
約束ですよ、と。

京都からの恋文大賞 高田智子  滋賀県東近江市
お湯に浸かると、この街に帰ってきたのを思い出す。京都の水はやわらかい。絹ごしの湯を肌に撫でつけるように抱く。
私の生家は梨木神社に近い。神社内では清らな水が今日もこんこんと湧き出している。茶道をしていた祖母も、この水を重用していた。お茶を点てるのに使うのはもちろん、茶碗を起こすのに使っていた。
「冬場、箱の中で長いこと冷え切ってはった茶碗に、いきなりお湯注いだらびっくりして割れてしまわはる。そやから、最初は井戸水にくぐらせて、だんだん熱いのにしていって、ゆっくり目を覚ましてもらうんえ」
 井戸水は通年温度が変わらないから、冬にはほの温かく感じる。水道水だと冷たすぎて、いけない。器物百年を経て神仏と化す。自分より長いこと生きている器への敬意だった。
「水のきれいな場所で作らせてもらってるから、水の甘みを生かしたもんを作りたい」
 和菓子屋さんは言う。小豆の甘みの奥に、透明な水で炊かれているのを感じる。

京すずめ井上章一賞 西村美香  大阪府貝塚市
「ゾーンに入る」と聞いて思い浮かぶのは、私にはひとつしかない。京都でのお座敷遊びだ。そして没入感ということで言えば、断然、「金毘羅船船」なのだ。いい香りのする舞子さんと向かい合って座り、間に置いた小さな椀を歌に合わせて、交互に触ったり取ったりする、あれだ。椀があるときは手を「パー」にして触り、椀がないときは手を「グー」にして台を叩く。なぜこれほどまでに単純な遊びで、心がかくも躍動するのか、今もって不思議でしかたがない。しかも、やればやるほど、どんどん楽しくなってくる。このまま永遠に、この動作を続けていたい、と思ってしまうぐらいなのだ。おおげさではない。そのぐらいあの歌のリズムと単純動作の組み合わせには、魅惑的な毒性がある。そしてあの罰盃。あれがまた、どんな酒よりも美酒なのだ。「アア、おツヨい♪」と言われるたびに、本当に体の中に力がみなぎってくる気がする。だから「そうだ京都、行こう」なる。

京都で人生を決めたで賞 浦上昭一 神奈川県秦野市
 高校の修学旅行は、京都への旅だった。
 百万遍の大学たたずまいに恋をした。田舎の高校生は、相手にされなかった。
 1年経つと、やっと受け入れてくれた。
 吉田山の頂上東に、下宿を定めた。真西に降りて、吉田神社の前を通れば、大学へは10分だった。下宿からは、東山や左大文字が、よく見えた。頂上からは「大文字の火」も望まれた。
 卒業後、映画会社に就職した。念願通り、京都勤務となり、昼夜兼業の生活を送った。
 適齢を過ぎ、下宿で見合いをした。二人の話は弾んだが、寒冷の日は相手を肺炎疑似で入院させた。入院は6ヵ月に及び、空白が思慕をつのらせた。
 吉田神社で結婚式を挙げ、郷里より両親が参列した。近くで披露宴も開いた。
 7歳の差こそあれ、まさしく京都生まれ京都育ちの配偶を得たのである。
 すでに、93歳と86の共生である。幸い、二人とも健康で立居に支障はないが。やがて介護を交しつつ、京都恋いの晩年を完成したいものである。

京都への恋文ほのぼの賞 鎌田吉仁 大阪府枚方市
「今年、どうする?」
「そら…行くやろ。」
毎年恒例の京都詣。もともと祖母が京都が好きで、小さい私はいつもついて行っていたのだが、それも小学校を卒業する頃には何かと理由をつけて行かなくなっていた。また行くようになったのは、就職で大阪に帰ってきた頃から。その頃は、祖母も足が悪くなり、誰かがついていかないと買い物にもいけない。それでも京都に行きたがった。曰く「青春の匂い」がするのだという。京都で生まれ育ち、戦災を切り抜け、父を育てた。「いや、青春て…」それでも一緒に行ったのは、いつの間にか私にも「青春の匂い」が染み付いているのかもしれない。
命日が近づくと、私は京都に行く。いくつになっても祖母を思い出す。「負うた子に教えられ」。

京都に感動賞 本間由美子 京都府京都市
7年前、夫の仕事で京都へ引っ越してきましたが、リタイア後は長年住み慣れた関東に戻るつもりでした。観光客と学生さんに優しい京都と聞いたことがあり、転勤族にはどうだろう…とやや不安なスタート。引越し早々に町内会費の件でお電話があり、緊張しつつお会いした町内の方々は大変温かでした。町内行事は、お千度参り、地蔵盆、バーベキュー、体育祭、お火炊きさん。そして親切なご近所さんの計らいで、時代祭、みやこめっせの京料理展示大会へ。祇園祭では、町の人たちが次々と教えてくださり7月丸ごとの神事だと知りました。1年経つ頃には京都ならではの楽しさをいろいろと体験でき、そしてコロナ禍へ。自宅待機の日々を1年経て、永住しようと夫が言い出しました。私の実家は大阪で両親が高齢になったことへの配慮もあったのかもしれませんが、ゴミ拾いボランティアを始めたくらい夫は鴨川が大好き。終の住処と決めた京都への我が家の恋は今も進行中です。

京都に感動賞 鈴木邦義 神奈川県横須賀市
昨秋、京都のお麩と湯葉が「余命数ヶ月」と宣告された親戚の男性とその家族に、束の間の安らぎをくれました。

「固形物がノドを通りにくくなった」と聞き、たまたま京都の知人から頂いた、お麩と湯葉が手元にありましたので、「これなら食べられるかも」と思い、届けたところ…。

大正解。食べる時だけではなく、詰合わせの中から選ぶ時にも(絶えていた)笑みがこぼれ、家族が涙したそうです。更には、かつて夫婦で京都旅行した折の、京料理の美しい盛り付けや器などの思い出話に、またまた笑顔と涙が。

「まさか最期に、あんな笑顔を見れるとは思いませんでした」と何度も礼を言われました。関東ではお麩や湯葉に馴染みが薄いものですから、誰も思い至らなかったのです。

余命宣告を受けて、暗い日々を送っていた一家に、ポッと明るい灯をともしてくれた、京都の食文化に感謝すると共に「何らかのご参考になるケースかな」と思い、文をしたためました。

京都美食賞 鈴木邦義 神奈川県横須賀市
初めて小学4年と1年の孫姉妹を連れて京都を巡ったのは、今から18年前のこと。
以降「又、行きたい」とせがまれて11回も3人旅。
結果、2人は修学旅行でガイド役をこなせる程の京都通に。
その「京都好き」は大学生、社会人になっても続き、2人とも毎年京都旅を楽しんでおり、最近は専らスイーツ目的の旅になっています。
先日「500キロも離れた京都まで行かなくても、東京にも同じような店が沢山あるのに」と言いましたら「同じものを食べても『京都で食べているんだ』と思うだけで、楽しさを何倍にも感じるから」とのこと。
確かに、私も京都に行くと「ただそこに居るだけで」嬉しくなります。きっと、京都には人々を惹きつける「目に見えない何か」があるのでしょう。
 2人の京都旅はもうすぐ20回目とか。大正時代から4代続いている我が家の“京都愛”が末永く続くよう願っています。(3代100年続くのが生粋の京都の人なら、私たちは生粋の京都愛の人?)

京都の気遣いで賞 武笠由布子 埼玉県さいたま市
2021年冬のこと。日本は感染症の流行期だった。凍えるような気持ちを抱え、息子と新幹線に乗り込んだ。行先は京都。旅行ではなく大学受験の付き添いだった。
 18歳に付き添うなんて過保護の極みだが、当時はどんな不測の事態が起きるかわからぬ緊張感の中にいて、冷静な判断をする余裕がなかった。
 到着したホテルは親子連れでごった返していた。フロントの愛溢れる対応に安堵した瞬間、今度は受験倍率が気になってしまった。いけない、と頭を横に振って息子を見ると、意外なことに、久し振りの笑顔を浮かべていた。
「おれ、この街が好きなんだよね。どうしようもなく」
 受験後の夜。鴨川沿いを並んで歩きながら、清らかな空気を共に吸いながら、この子はもう大丈夫だと思えた。根拠などないのに、確かにそう実感した。京都はそんな不思議な街だ。
 最初で最後の、親子ふたりだけで行った京都。今度はひとりで訪れてみよう。子離れの記念に。

京都のおもてなし賞 齋藤恒義 兵庫県加西市
冷たい風に身震いしながら、体を寄せあったふたり。いや三人だった。実は新婚旅行。身重の妻の体を考えて近場である京都行。13歳年の差結婚で親の手前ドタバタ結婚式を済ませて、形だけの新婚旅行とやってきた京都。最初に足を運んだお寺は人影もなく寒風にさらされて立ちすくんだ。境内を掃除中のお坊さんが「シーズンオフの京都をおふたりで独り占めできますよ」訳アリとみられたのか、お坊さんの言葉は優しかった。よそ者に冷たいと聞いていたのに、ほっとした。進められて嵐山に向かった。見つけた民宿でも手厚いもてなしを受けた。「冷たい京都でも、お二人の愛情を必ず祝福してくれますよ」沸かしてもらった熱いお風呂に、湯豆腐。冷たくなった二人の体は回復した。凍える季節の京都での体験が、私と妻の40年にわたる結婚生活につながったと思う。この間、4人の子供にプレゼントされた京都旅行は、最高にしあわせだった。

京都に寄り添い賞 久保田文子 埼玉県深谷市
エッセイ「京都への恋文」
 関東地方出身の私と、中国地方出身の主人は、大学時代に知り合って、今から二十数年前に、互いの出身地のちょうど中間地点になる京都で結婚式を挙げました。
 それから十数年が過ぎ、主人は亡くなり、遺骨の一部を京都のお寺さんに分骨しました。
 私にとって、京都は第二の故郷です。どうか、百年後も千年後も京都のままでありますようにと願っております。
 折々に、京都駅に降り立ち、主人の墓所へお参りをした後、京都の名所を一、二ヶ所訪れることが私にとって何よりも心地良い時間です。本当に日本に生まれて良かったと誇りに思える瞬間です。年齢を重ねるごとに京都愛は益々深まっていっております。

京都の思い出賞  森 惇  千葉県松戸市
京都と聞くと、祖母の声を思い出す。だが、祖母の顔は思い出せない。
私が乳児の頃に嫁姑問題が勃発し、以来私は京都に行ってないからだ。だから、ずっと電話口で祖母と喋っていた記憶だけがある。電話が鳴り、「京都からよ」と母が言えば、それは祖母のことだ。祖母はいつも、優しく語りかけてくれた。
そんな「京都」に、私は中学校の修学旅行で訪れた。その時、宿泊する旅館の公衆電話から祖母に電話をしたことがある。
「いま修学旅行で、京都に来ています」
そう伝えると、祖母は珍しく「京都にいるの!よう来た!」とはしゃいで喜んでくれた。思春期の私は恥ずかしくてうまく返せなかったが、祖母の反応がとても嬉しかった。
そして再び京都を訪れたのは、祖母の葬式だ。「よう来た!」という声が頭にリフレインして、目頭が熱くなった。あれから20年近く経つが、京都は今も祖母の声そのもの。京都と聞けば、優しい声が心の内に響き渡る。

京都へのピリリ辛口賞 竹中栄三 大阪府茨木市
私は伏見で生まれ育った。今は大阪で暮らしている。後期高齢者になった今でも故郷伏見への愛は深まるばかりである。「故郷は何処ですか亅と聞かれたら少しいい気分で「京都伏見です亅と答える自分がいる。伏見は京都市伏見区である。しかし、京の町衆は「伏見は京都じゃない亅と認めようとしないのである。私は町衆の傲慢さに反発する。そもそもは秀吉の策定した洛中洛外の区分けによるものだろうか。しかし、悲しいことに私自身も幼い時から京都駅や四条に行く時は「京都へ行く亅と言っていた。自身も京都は別の地と認識していたのか。ああ、それならと開き直り、伏見の独自の歴史の深さを対峙し独立宣言し、「伏見は京都じゃない亅と誇りを持って言い切りたいと…。しかし、ここで私は私の大好きな伏見は本当は京都への深い永遠の愛という型て成り立っているのではないかと気づくのである。私の伏見から京都への恋文であるのだ。

京都にんまり賞 明石秀親 東京都港区
私が京都に来たのは定年後、短大で日本画を学ぶためだった。日本画を習うなら京都と決めていた私は、絵の勉強にと屏風や襖絵、庭を拝見しに京都中の寺社を巡った。さらに鴨川や桂川で写生し、町家や老舗を訪れ、お茶やお花も習い、お茶会、お祭、坐禅にも通った。そして私が卒業展覧会に選んだ画題はそれらを盛り込んだ洛中洛外図。金箔貼りの大作をやっと仕上げた。
その卒展にわざわざ東京から元上司が来て、祇園のお茶屋さんにもご招待いただいた。そのお茶屋で女将さんや芸妓さんに卒展の話をしたところ、芸妓さんから京言葉で
「行けたら行きます」
と言われ、
やったー!
帰り道、
「京都で『行けたら行く』というのは、『行かない』ということだから」
と諭され、
「そうですよね。一見の客の、それも画学生の卒展なんて来ないですよねえ」
と納得しつつ、翌日も会場に詰めた。そこに当の芸妓さんが和服姿で現れた! 改めて京都の文化と心意気に触れた気がした。

京都の建物住まい賞 福永朋歩 兵庫県姫路市
京都の家が好きだ。私の育った家。
大通り、車と人がせわしなく行き交う喧騒。それを一筋入るだけで別世界が始まる。静かな暮らしの息づく町。その中の小さな露地のどんつき。そこに私の家がある。うす暗い露地の入り口。下を見ると不揃いな石畳。がたごと石と石の間には深い緑の苔がびっしり。その露地を一歩入ると湿気をしっとりと含んだ緑の香り。上を見るとひしめき合う家々の屋根の間にぽっかりのぞく四角い青空。「チリン」と誰かの家の軒先の風鈴の音が耳に優しく響く。五感で感じる優しい場所。どんつきまで進むと、錆びたベンガラ格子の家が。到着。横あきの戸をそろりと開ける。昼間でもうす暗い土間。ひんやりした空気に包まれる。甘やかな家の香りを吸い込む。上がり框に向き直ると大きな墨一色の老木が。友禅職人だった父が嫁ぐ日に描き上げてくれた。30年間私を励まし見守ってくれた梅。
「ただいま」私の京都時間がゆっくりと動き出す。

京都への恋文審査委員
京都への恋文広場長
京都への恋文審査委員長
井上章一 国際日本文化研究センター所長
京すずめ文化観光研究所顧問
顧問 松井孝治 京都市長
委員 奥田正叡 鷹峯常照寺 住職 
京すずめ文化観光研究所顧問
齋藤修 元京都新聞代表取締役 
京すずめ文化観光研究所顧問
田村圭吾 京料理萬重若店主、文化庁文化交流使
浜田泰介 日本画家
西村明美 柊家女将 
京すずめ文化観光研究所顧問
村上圭子 元京都市副市長
国立京都国際会館事務局長
土居好江 京すずめ文化観光研究所理事長
(五十音順)

 

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