第五回「京都への恋文」入賞作品
第五回京都への恋文 講評 審査委員長 井上章一
「京都への恋文」は京都を恋人に見たてています。京都は街です。人ではありません。返事は書けないわけです。そこで、京都にかわって審査員一同が応答する。「京都への恋文」は、いちおうそういう仕組みでできています。
手紙の文面で、人の心はうごくか。うごきますよ。でも。どういう言葉で心、がわきたつのかは、受け取り手によってちがいます。まちまちですね。もちろん、多くの読み手をふるわせる名文もありますが。
「京都への恋文」でも、多数の審査員に感銘をあたえた応募作は、高く評価します。「大賞」などの贈呈で、それらにはこたえてきました。
しかし、そこそこの点をまんべんなく審査員から得ている応募作はちがいますね。あまり高くは買われません。それよりは、一部の審査員しか推さなかったけれど、その推薦ぶりが強かったものを評価したい。悪く言えば審査員のえこひいきですが、こちらを重んじたいのです。「恋文」ですから、少数であっても、人の心がゆさぶれる作品であってほしい。
くりかえしますが、京都は街です。「恋文」の対象としては、いたって抽象的ですね。ばくぜんとしすぎています。その点を考慮すれば、平均点に票のあつまるものは、もっと評価されるべきかもしれません。公平・中立をこころがけるお役所なら、そうするところでしょう。
ですが、私どもは行政機関を構成しているわけじゃありません。あえて、えこひいきを大切にしていると、そう言いきります。よろしくご了解ください。
以上
第五回京都への恋文入賞者一覧
京都への恋文大賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
イルカの「なごり雪」の♪「東京で見る雪はこれが最後ねと…」は、私にとって『君』ではなく『京都』との惜別を思い出す一節。
京都で過ごした大学時代、年に1~2度は雪が降った。いつも雪の日は下宿に閉じ籠っていた私だが、卒業を目前にした2月に大雪に見舞われた翌朝は「京都で見る雪はこれが最後」と早起きして龍安寺へ。幸いにも雪が深かったせいか誰も来ず、開門と同時に一番乗り。
深々と冷えた 仄暗い方丈の先に純白の雪が積もった石庭と油土塀、そのコントラストは筆舌に尽くし難いものだった。正に千載一遇。
古寺特有の深閑の中、方丈に座り、京都での過ぎし日々を瞑想していると、暫くして3人の外国人が談笑しながら入ってきたが、私に気付き「シーッ」。そして私を真似て瞑想、その仕草はぎこちなくて可笑しかった。
あれから60余年経ったが、今も「なごり雪」を聴くと。京都との別れを惜しんだ、あの雪の日の情景が蘇り、胸が熱くなる。
京都からの恋文大賞 林 明宏 京都府京都市
京都で生まれ育ち、今も京都で暮らしているので、京都の良さが解っていないのかもしれません。心臓手術を決心した入院期間中は、今までの生活が切り取られたかのように、時間が止まったようでした。
ベットから見る風景は、東山三十六峰をバックに鴨川の河川敷。北風が吹き、枯れ木が寒そうに立っています。
今日の昼食が運ばれて来ました。「大根のたいたん」と「てっぱい」「しば漬け」も付いています。
看護師さんが「無理せんように、ぼちぼち食べてや」と声を掛けてくれました。
今から思えば、京都の詰め合わせのような入院生活でした。お蔭様で無事退院。
春には、元気に同じ場所から、桜を見渡し、三条大橋まで歩いて、抹茶ソフトを食べよう。
京都に居ながら京都を楽しむ方法を、大きな手術のご褒美ギフトとして貰ったのだから。
審査委員長賞 鈴木 麻美 東京都
大学時代に京都に通った。
通信大学生だったので、社会人をしながら年間2,3週間を7年ほど通っていた。
私は若くはない学生であったが、京都では全く珍しくはなかった。
京都の旅人や学生に対する懐の深さがあった。
いや、学生というより、むしろ「なにかを勉強している人」を尊ぶ文化があった。
居酒屋や喫茶店には、詩作や論文を書く人、カメラマン、学生、修行僧、茶道家、着付師、様々な人が集う。
学生さんにはサービス、と何度言われたことか。ご遠慮しても、「まあ、それよりお勉強を頑張って。」と励まして頂いた。
京都が、学生や研究者に愛される理由がある。
それは勉強をする人を「ダサい、コスパが悪い、役に立たない…」などとは言わないからだと思う。
まさに、自己研鑽に暇がない、それは京都の文化そのものだ。
京都への恋文ほのぼの賞 鎌田 吉仁 大阪府枚方市
「兄ちゃん、どこ行くん?」
「ん?京都。」
「ふぅん、何しに?」
弟はまだ知らない。京都の本当の魅力に。例えば朝。普段なら修学旅行生の背中しか見えない清水の舞台は、貸し切りになる。
例えば冬。雪景色、といえば、私にとっては金閣寺の雪化粧。あれだけ承認欲求が強い鹿苑寺金閣が、まるで寝た子を起こさないように密やかに雪に隠れる。そこに音が吸い込まれる。
春夏秋冬朝昼晩、路地の一本まで、その時その場所の京都の魅力に、京都に務める弟はまだ気づかない。そして私も教えない。「何しに?」は自分で感じるもの。
ほくそ笑みながら今日も私は自転車を漕ぐ。今日はどんな顔を見せてくれるだろう。ゆっくり漕ぎすすめる町並みもまた、楽しみの一つなのだ。
京都への恋文ほのぼの賞 甘利 麻紀子 大阪府大阪市
京都生まれ京都育ちの
父母が暮らしています。
私も嫁ぐまで
暮らしていました。
実家に帰ると
街並みの美しさ
土足で人の心に
踏み込まない優しさを
感じます。
実家の
香りを胸いっぱいに
吸い込んでから
庭の花を愛でて
それから
父が淹れてくれた
珈琲と母の笑顔。
京都は週末私に
また一週間頑張るチカラをくれます。
ありがとう。
大好き京都。
京都への恋文ほのぼの賞 貴田 勇介 熊本県熊本市
あなたのことを初めて知ったのはいつだったかもう正確なことは思い出せなくなっています。あれはそう祖母があなたのことが大好きでよく一緒に連れていってくれたのが始めでした。南禅寺、清水寺、金閣、銀閣、嵐山。僕は祖母が好きだったから自然とあなたのことも好きになりました。それでも子どもの身ではそうそう自由に行き来は出来ません。僕は大阪に住んでいましたから言わば遠距離恋愛しているようなそんな気持ちであなたに恋していました。祖母から京都に行こうと言われたら胸がときめきました。僕から祖母に京都に行かない?と誘う時もありました。そうしてようやく大学生になり自分で自由に出来る範囲が広がり京都に行く機会も増えました。祖母とは行ったことがない恵文社やミナペルホネンやアンダースローなどを知って祖母に自慢したい気持ちでした。そんな大好きな祖母と大好きな京都に行くことももう出来ません。次は子どもを連れて遊びに行きます。
京都への恋文ほのぼの賞 安藤 知明 大阪府豊中市
「祖父がこよなく愛した京都へ、私たちも行ってみたいです」と、先日亡くなったキーウの友人の孫からメールが入った、
日本から帰国すると孫たちを集めては、「京都が心の安らぐ場所だった」というのが口癖だったらしい。遺品を整理していると日記帳が出てきて、「いつか孫たちを連れて行きたい」との記述があり、今回私へのメールの発信となったらしい。
息子2人は戦場へと赴き、キーウの家を護っているのは孫たちである。こんな状況の中、直ぐに京都へ案内するわけにもいかない。
「京都はいつでもあなたたちを待ち、大歓迎です。お爺さんが歩いた京都のまちは、私の頭の中に入っています。ウクライナに平穏が戻ったなら、いつでもご連絡ください。私が案内しましょう」と、返信した。友人に代わって、今度は孫たちが熱烈な京都ファンになってくれるように私が大役を務めよう。
京都への恋文ほのぼの賞 藤原 奈央 岡山県岡山市
「光る君へ」を観て京都に行きたくなった。
私の住む岡山から京都へは新幹線で1時間。高速バスでは4時間半。独身時代は日帰りでも何度も足を運んだ。1人旅もしたし、母親、友人、昔の恋人とも旅行した。しかし結婚し子どもが産まれ、ここ数年は日々のことに追われて行くことができていない。まだ未就学の子どもたちが、京都の趣深さを理解して観光できるのはいつになるか。連れて行きたいところがたくさんある。京都は愛する人と旅をするのにふさわしい場所だと思う。母と行った早朝の伏見稲荷。友人と恋愛祈願した鈴虫寺。恋人と寄り添って歩いた二寧坂。どの思い出も澄んだ清らかな空気と観光地ならではの活気、旅行中特有のふわふわとした気持ちがセットで思い出される。今私が最も愛している夫と子どもたちと京都での思い出を作りたい。
京都に感動賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
学生時代を京都で過ごしたものの、夏休みは帰省を優先して「大文字・五山送り火」を観ることなく京都を後にしたことが心残りで、数年後に友人と見物に。日中は友人のために定番の清水・金閣・嵐山を巡り、日が暮れる頃、ビューポイントとされる出町柳へ。
そして、8時に点火が始まると一斉に「オーッ」と歓声が上がり、夜空にくっきりと「大の字」が浮かぶと再び歓声が。
暫くして消え始めると観衆が徐々に帰って行ったが、私たちは「もう観ることはないから」と最後まで残ることにした。
残って正解だったのは、近くにいたお年寄りが「皆さんどんどん帰っていかはるけど、最後の火が消える時が『霊を送る瞬間』なんですよ」と声を掛けてくれたこと。
その言葉に「大文字・五山送り火」は地元の人々にとっては宗教行事なのだ」と改めて京都の奥深さを感じた一方、周りで合掌しているのが老婆一人なのを見て、消えてゆく風習を残念に思った。
京都に感動賞 堀 卓 千葉県松戸市
都とは 京のことやと 知る暮らし
京都に感動賞 大坪 覚 神奈川県横浜市
街中の小さな道に隠された歴史彩る逸話驚く
京都で人生を決めたで賞 鳥原 真由香 神奈川県横浜市
「ママはどうしてパパと結婚したの?」
5歳になる娘から、ついにこの質問が来た。
さてどこから答えようか…湯船の中で天井を仰いだ。
夫とは職場結婚だが出会いは京都の大学だった。出身地も違う、学部も違う、もっと言えば趣味も性格も違う。
それでもお互い惹かれたのは、もしかするときっかけは「京都の大学」という共通点だったのかもしれない。
京都には不思議な力がある、ような気がする。「京都に住んでいる」「京都を選んで来た」「京都が好きだ」そういった共通点が人と人とを結びつける。そしてその結びつきと文化や伝統が合わさって、人々を魅了してやまないあの街が作り上げられている。
だからこそ、そこにお互いが「いた」ということが私と夫の中で特別な意味を持っている。
うーむ、これは入浴時間ではとても説明できない。
ひとまずここはサラッと説明して…残りは
「今度京都に行ってみようか。」
京都へのピリリ辛口賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
京ことば甘味(あまみ)に嫌味(いやみ)隠し味
京都への風景賞 下村 修 神奈川県川崎市
路地裏の小さな京都ひとり占め
京都への風景賞 永末晴成 埼玉県川口市
私の大切なもの「哲学の道」
私は、30数年前、転勤で2年ばかり京都に住んでいたことがある。
高校時代、家の書棚ににあった西田幾多郎の「善の研究」を充分理解できないまでも読んだことがあった。このため、西田幾多郎が京都大学教授時代に思索しながら散策したという、今でいう「哲学の道」にいつの日か行ってみたいと思っていた。哲学の道は、東山の麓にあり、琵琶湖疎水べりの約1・5キロの小道で日本の道百選にも選ばれている。幸い、家から近かったため休みの日にはしばしば訪れた。そして、思索とは程遠いが、歩いていると心穏やかになった。また、両岸に植えられた春の桜、秋の紅葉は風情があった。。カルガモの親子が泳ぐ様子にも和まされた。今も京都を訪ねたときは必ず行くことにしている。
私は、京都の文化遺産もさることながら、自然と人の造作が織りなす「哲学の道」に魅せられる。この「哲学の道」がいつまでも保存され、受け継がれていくことを望む。
京都への風景賞 吉田 安代 東京都
京都といえば、歴史ある建造物に代表される伝統と日本の美の融合、春の桜・秋の紅葉が人気である。しかし私にとっての京都は、夏の太陽に照らされた海の町だ。
私の祖父母の家は丹後にある。毎年夏休みには東京から遊びに行った。若狭湾を目の前に、白い砂浜が広がる丹後由良海岸、古代神話に思いをはせる天橋立、伊根湾には水面に浮かぶ家のような舟屋が、所狭しと並ぶ。その海を背景に、おもちゃのような可愛らしさで街を結ぶ丹後鉄道。どの思い出も、夏の強く輝く太陽に照らされて、まばゆいばかりに光を反射させる海と、その光に照らされ、キラキラ輝く緑と街全体の様子だ。
数年前、祖母が亡くなった。その日もうだるような暑さの夏の日だった。祖母の魂は太陽のきらめきに吸収され、天に召されたのかもしれない。
目的は変わったが、現在も毎年夏に京都に行く。丹後に向かう途中、天橋立を通る。その度に、この道の先に祖母が待っているような気がする。
京都への気遣いで賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
「おおきに」でひらりとかわす京女
京都への気遣いで賞 原茂 敬浩 東京都福生市
叡山の 修行に残りし友からの 手紙にいつも 野辺の押し花
京都への気遣いで賞 森 勝利 大阪府岸和田市
「黒船に錦の御旗憂いあり」
大好きな京都を世界の人々に知ってもらえるのは嬉しい限りです。
ですが、そのために京都が汚され荒んで行くのではと心配もしています。
オーバーツーリズムや心無い人々に対して行政や観光関連機関は、想定外だとか予想以上だと言って具体的な対策を取らずに目先の利益を求めているようにしか見えません。
京都には、十年百年では無く千年先を見据え京都独特の歴史と文化を守り残すことを切に望みます。
京都美食賞 松木園 紗絵 和歌山県和歌山市
「京都ってなんか、私らとおんなじ関西やのに、都感出してきて感じ悪いわあ」。生まれも育ちも京都以外の関西人である私の、京都に対する第一印象はこんな感じやったで。ちょっとした僻みやったんかな。まさか、こんなに京都大好きになるとは。だって、京都って、風情ある古都ってだけでなくて、ラーメン、パンを始めとしたB級グルメも美味しいし、関西の良さもしっかり残してるんやもん。気取ってるんやなくて、品が滲み出てるんやな。やっぱり、京都、めっちゃ好きやねん。
写真部門 二宮 正博 福岡県筑紫野市
絵画部門 山口 京子 北海道帯広市
京都への恋文審査委員 | |||
京都への恋文広場長 | 井上章一 | 国際日本文化研究センター所長 京すずめ文化観光研究所顧問 |
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顧問 | 門川大作
松井孝治 |
前京都市長(2024年2月24日まで)
京都市長(2024年2月25日~) |
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委員 | 奥田正叡 | 鷹峯常照寺 住職 京すずめ文化観光研究所顧問 |
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齋藤修 | 元京都新聞代表取締役 京すずめ文化観光研究所顧問 |
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田村圭吾 | 京料理萬重 若店主 文化庁文化交流使 |
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浜田泰介 | 日本画家 | ||
西村明美 | 柊家女将 | ||
土居好江 | 京すずめ文化観光研究所理事長 |
後 援 | 京都府、京都市、京都商工会議所、京都新聞、国際交流基金京都支部 |
協 力 | 京都銀行、京福電気鉄道株式会社 |
協賛企業 | 阿ぶり餅一文字屋和輔、嵐山祐斎亭、おおきに迎賓館ふく吉、おぶぶ茶苑、
京都の珈琲、大徳寺一久、田中長奈良漬店、中源(株)、(株)中嶋農園、 (株)半兵衛麸、プレマルシェ・ジェラテリア京都三条本店・東京・中目黒駅前店、 プレマルシェ・オルタナティブ・ダイナー、柊家、松井酒造株式会社、京料理萬重、 八隅農園、山田製油本店、京都御池ゴマクロサロン【山田製油直営店】、 Kingsemi Japan㈱ |