第四回「京都への恋文」受賞作品の発表
「第㈣回京都への恋文」講評 「第㈣回京都への恋文」審査委員長 井上 章一 |
多くの応募をいただきました。ありがとうございます。みなさまの熱意には、こちらも真摯にむきあわねば。そう思って、ていねいに読み、また見させていただきました。
審査員は、みな日常的に京都の街をゆききしています。京都には、馴れっこになっていると言っていいでしょう。ですから、通り一遍の感想をしめされても、感銘はうけません。嵐山がきれいだと言われても、食指はうごかないのです。
へー、あの街角で、そんなことがあったの。なるほど、あそこはそう見えるんだ。以上のように、意外な京都像をえがいた作品が、高い評価をうけました。
上位入賞者には、京都で癒される話が多かったと思います。とくに、気分のめいっている人が、京都で回復のきっかけをつかまれる話は、いいですね。街じたいがカウンセラーになっていたのかと、感じいったしだいです。
ここ二年ほど、私たちは新型コロナと呼ばれる感染症におびえてきました。気も弱り、ちぢこまりながら、くらしています。この閉塞感も、今のべたような文章を良しとさせたかもしれません。審査員一同もまた、癒されたがっていた可能性はあります。
次回以降も、同じような傾向の作品がえらばれつづけるかどうかは、わかりません。コロナ明けには、はじけたような応募作をたのしみたい。私のなかには、そんな想いもあります。
いずれにしろ、入選なさった方がた、おめでとうございました。受賞式でお目にかかることを、たのしみにしています。まあ、これも感染症の動向しだいで、どうなるのかはわからないのですが。
京都への恋文大賞 清谷 冴子様 兵庫県姫路市
今から20年前。
色々なことがうまく行かず、時間を持て余した私は、夜行バスに飛び乗って京旅行へ行った。
京都に着くと、観光スポットというスポットを巡り歩き、神社やお寺に出向いては願掛けをして大願成就を願う。
その道中で、ひとりのお年寄りと出会った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。のんびりいきなはれ」
私が京都に来た理由を告げると、お年寄りは背中を伸ばして、腰にあてていた手をほどき、私の背中をポンっと押した。
すると、私の心はフワッと軽くなり、視界が明るくなった。
あの日から20年。
私は自分らしく、のびのびと生きている。
京都の街はもちろん、京の人は、私に新しい息吹を吹き込んでくれた大切な存在。大切な場所である。気軽に京都へ行ける日が待ち遠しくてたまらない。
京すずめ大賞 松下 弘美 埼玉県東松山市
母の記憶は日々消えてゆく。僕の名前さえ分からないこともある。そんな母が春、桜を見たいと言ったので、車椅子を押して近くの公園まで出かけて行った。けれども、「この桜と違う」と、首を大きく横に振る。
家に帰って、昔のアルバムを引っ張り出して、桜の写真を探した。あった。京都の桜だ。父と結婚して間もなく、二人で行った京都の春だ。東寺、二条城、平安神宮と、桜と一緒に父と母が写っていた。
その後父が始めた商売で忙しく、子育ても始まり、旅行どころではなかった。父はもう十年も前に他界したが、母の中ではまだ生きているのかも知れない。
「また京都の桜、見に行こうね」
母のベッドの脇に座ってそう言うと、母は少女のような目をして微笑んだ。
「桜の後はイタリア料理、食べたいわ。京都のイタリア料理、最高だった」
若い父と母はイタリアンの店で食事をしたことを、初めて知った。
「うん。食べに行こうね」
足腰の弱くなった母を京都に連れて行くことはもうできない。でも、母は、とびっきりの笑顔で僕を見た。母の中では京都の桜は、過去のものではないのだ。現在でも、瞼を閉じれば、まざまざとその光景が広がっているに違いない。
コロナが収まったら、次の春は京都へ、妻と二人っきりで行ってみたいと、ふと、思った。
審査委員長賞 伊藤 圭 インドネシア在住
妻の誕生日が八月十六日だと知ったのは付き合い始めてしばらくしてからだったろうか。
「その日は紫野の実家にいるから遊びに来て」と言われた。
仕事の後、大阪から電車で京都へ向かった。北大路駅から大徳寺へ向かって歩いていると、丁度左大文字が点火され眼前に浮かび上がった。家では彼女の甥姪ら、子供たちも道に出て燃え盛る火を見上げていた。そしてご両親と夕食をとり誕生日を祝った帰り道、名残惜しくて振り返ると山はまだ微かに燃え続けていた。
この時の気持ちは今でも思い出す。いつから始まったか定かでない五山送り火。それが今も保存会による助け合いで連綿と続き人々の生活にしみ込んでいる。その地で育まれた女性だということに大きな安心感を抱いたのだ。結婚して二十二年、私は幸せです。
京都よ、死後は今度、魂として毎年ここに戻ってきます。送り火の続く限り。
審査委員長賞 阿部 実織 北海道札幌市
結婚直後にコロナウイルスが流行し、緊急事態宣言が出たことで、京都新婚旅行の予定は白紙になってしまった。
約1年後、夫はうつ病になり会社を辞めた。しばらく自宅で抜け殻のように過ごしていた夫だったが、ある日ぽつりと言った。
「京都に行きたい」。
気分転換も兼ね、夫と京都へ旅立った。
以前はさほど歴史に興味がなかった夫だが、極楽浄土を描いた平等院や金閣寺など建造物の数々を噛み締めるように見つめていた。私達が生まれる何千年も前から、当時の人々も私達と同じように安息を求めていたのだ。
京都にいる間、夫の表情は柔らかかった。
古を感じる街並み、何千年も前から人々が祈りを捧げ続ける神々が宿る地。
これが本当の日本の姿なんだねと、夫が言った。
美しい景観と人々の想いが集う京の風が、渇いていた夫の心を潤してくれたようだ。
帰り際、夫は小さく「またいつか子供と一緒に来よう」と言った。
少し照れくさい、遅めの新婚旅行だった。
京都に感動賞 丹内 哲郎 埼玉県さいたま市
転勤が 京都と聞いて 妻驚喜 単身駄目と 先手打たれる
京都への恋文思い出賞 安藤 知明 大阪府豊中市
1970年代の初め、ナイジェリアの空港で白人男性から、「Kyotoはお元気ですか?」と声をかけられた。よく聞くと、人名ではなく「京都」の町ののことだった。
東海道新幹線建設に融資のため、世銀の担当者として日本を度々訪れ、その都度京都へ足を延ばしていたのだ。「大都会でありながら古都の趣があって、心が洗われたものだよ」と、なんとも懐かしそうに話す。
1950年後半、60年前半のこととて、まだ英語の案内板やアナウンスが少なく、もっと知りたいと思っても限界があったらしい。外国人の観光客は珍しく、街を歩いているとサインを求められたりして、「俄かスターになった気分だったよ」と、高笑いした。
待合室のベンチに腰掛け、京都の話題で盛り上がった。「日本が大きなプロジェクトを立ち上げ、また世銀からお金を借りてくれたら、再び私の出番もあるんだがね」と、京都への未練がたっぷりであった。
京都への恋文出会い賞 安藤 知明 大阪府豊中市
京都では路地裏巡りも風情があっていい。歩くたびに新しい発見がある。町家が軒を並べているが、その閑静なことといったらない。まるで旅の途中でオアシスにでも居るかのような心地になる。石畳だったりすると、浴衣を着て下駄履きでカラコロと歩きたくもなる。
先日、「染め直し致します」と看板のかかった店を見つけた。私の気に入っているベレー帽が色褪せていた。妻からは「新しく買いなさいよ」と言われていたが、愛着があった。「これ、元通りの黒色に染まりますか?」と訊くと、「新品同様になります」との返事。早速預けてきた。出来上がりが楽しみだ。
祖父の形見の懐中時計が動かなくなっていた。これも路地裏で見つけた時計修理店で直してもらった。もう3年も前のことだ。以来、順調に時を刻んでいる。
新しい発見のある路地巡りは、これからも思い立ってはでかけたい。
京都への恋文出会い賞 磯邉 綾菜 京都府京都市
「今日は水無月食べよし」
季節を楽しむ生き方や、暦の行事を守って生きる人らを愛しく思うこの感覚を、私に残してくれますか。
何回もあの人と歩いた夕暮れの鴨川。夜な夜な通った、おばんざいをちょっと多めに盛ってくれる木屋町の居酒屋。友達と思いつきで行った紅葉が燃える嵐山。毎日チャリで通った叡電沿いの小径。白んだ空がちょうど見えて、夜更かしも悪くないなと思った下宿の窓。
あと少しで、京都を離れる。
この街を舞台に、たくさんの人に出会った。一緒に眺めた色とりどりの景色はあっという間に過ぎ去っていく。その角で、あの店で、通りすがりのたくさんの人生に想像を巡らせた。それから、自分の将来も考えた。ふらふら歩いては、仲良くなった人とビールを片手にいろんな話をした。
「あんたがおらんと、さみしなるなあ」
そう言ってくれる人らと、どうかまた巡りあわせてください。
京都への恋文ほのぼの賞 盛武 虹色 愛媛県今治市
はじめて聞いた京ことばを花のようだと思った。春のやわらかさを纏った花のようだった。「行きはる」「今日は行かへん」のように「は」行を多く含んだ言葉はふわふわとした響きを持っていた。空気を包み込むようにして発音される言葉は柔らかかった。
テレビなんかの違和感のあるエセ京言葉ばかりを知っていた私は、京言葉を気取った造花のような、装飾だけが多い料理のようなものだと勘違いしていた。けれども京都駅で初めて浴びた本物の京言葉は洗練された天然の温かみを持っていた。
長い歴史の中で洗練された京言葉は、京都の素朴な美しさに調和している。京都と言えば、華やかな町でよく知られているけれど、それは決して派手な華々しさではない。恋文にそっと添えた花のような密やかなものだ。
謙虚な美しさを主張する京の都を巡っている色とりどりの京言葉。王朝の人々がひょっこり出てきてしまいそうな京都の路地に今日も京言葉が薫っている。
京都への恋文風景賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
北山杉
64年前、下宿(金閣寺前)のおばあさんに「鷹峯から山道を暫く行くと菩提の滝があり、その先には北山杉で有名な村がある」と聞き、早速ハイキング。
しかし、山道を行けども行けども・・・。「この道?」と不安が過った時、聞こえた滝の音に安堵。
菩提の滝を下った先は山が両側から迫る、川添いの小さな村で、山々には頭部に緑を残して真っ直ぐな幹だけとなった杉の木が林立しており、その美観に息を呑んだ。(若木の内から枝を切り払い続ける由)
村には皮を剥いだ杉の丸太を立て掛けた家があり、それを女性が砂で磨く姿も見られた。(この砂は菩提の滝の下に溜まった、糖の様に軟らかく砕ける砂とのこと)
それから30年ほど経ち、家を新築する際、床柱は北山丸太を指定。以来、彼の地で産まれた白木の丸太が床の間に清楚な気品を漂わせ、私を青春時代のあの日に誘ってくれる。心を込めて育て、磨いてくれた北山の人々に感謝しつつ、杉の美林に思いを馳せている
京都への恋文風景賞 鶴田 恵江 岡山県倉敷市
鴨川さん、私はあなたにどれだけ癒されただろうか。
新人ナースだった私は、鈍臭く要領も悪く、出来ないナースだった。忙しい日々、進まぬ業務、人間関係にいつも悩んでいた。いよいよ苦しくなると、決まって鴨川まで出かけて行き、川のほとりに腰掛け、その流れを何十分も見て過ごした。
その頃入院してきた女性がいた。検査をしても原因が分からず、治療が始まっても症状の改善は無かった。彼女はいつも布団を被って塞ぎ込み、部屋まわりに行った時、険しい表情を緩める事は無かった。
ある日、少しでも病気を考えない時間を共有したくて、
「頭をリセットしたくて鴨川のほとりで流れを見てたら、何と30分寝ていた」
と話したら、とても面白がって下さった。鴨川さん、彼女にも癒しを有難うございました。
京都にんまり賞 鈴木 邦義 神奈川県横須賀市
京おんなやさしさ八分二分いけず