第三回おくどさんサミットご報告VOL1

年末のご多忙の中、また、コロナ禍ではありますがおくどさんサミットを最大のリスク管理を行い、開催させて頂きました。誠に有難う存じます。こんな時に開催しなくても良いのではと思われた方もあるかと存じますが、京都は1074年間、都であり続けた活力源の一つに、重いものは軽く見せ、軽いものは重く見せるというバランスのとり方というのがございました。これは京都のおもてなしの仕草です。疫病にも打ち勝った歴史がございました。悠然とした姿勢で疫病退散の願いを込めて開催させて頂きました。

私からは3つのことを申し上げたいと存じます。

1、何故、この年末の慌ただしい時季にサミットを開催させて頂くのかは、京都の歴史に答えがございます。

 2020年の冬至は12月21日でございました。江戸時代、京都から始まった行事・お火焚き祭は、冬至の前後、太陽のエネルギーが弱まると天皇の力も弱まるとして、火を焚きました。江戸時代、まちの空き地で火を炊いている絵図が残されています。エネルギーを強め火に感謝する行事は1980年代頃までは京都の町内会でも行われておりましたが、安全管理の為か、現在では神社や一部地域で行われております。

 私も子供の頃は火にサツマイモを入れて、焼きいもをほおばった経験がございます。落ち葉を拾って焚き火するのが普通だった時代には、どんどんと申しておりました。今の50代以上の方は経験があるのではないでしょうか。煙が良くないという理由で現在ではほとんど見受けられません。火を炊くという体験が今は無くなりましたので、火が遠い存在になっております。IHが普及して炎を直接見る機会が無くなりました。家族の団らんがおくどさんを中心にあった時代から、リビングが団らんの中心に変わりました。大学生がアルバイト先の料理屋で新聞紙に火をつけてと言われ、新聞紙を両手で広げて真ん中にチャッカマンで火を付け、火が燃え上にあがるのにびっくりされたという話を店主からおききしたことがあります。火が上にあがるのを見たことがなかったというのです。

 ちなみに明治天皇のご誕生の折の火種は、川端道喜さんのおくどさんの火種を中山家に運び産湯を沸かしました。火の神聖さについては省略させて頂きますが、火の文化、おくどさん文化を守り、その精神を継承するサミットとして京都の風物詩となるようにして参りたいと存じます。

2、冬至の前後1週間おくどさん週間に制定

 太陽の高度が低く地上に射すエネルギーが最も弱い日を境に、再び太陽の力を高まる日を一陽来復と申します。旧暦では前年の冬至を起点に暦をつくりはじめ旧暦11月に12支がはじまり、一年の節目となります。宮中では朔丹冬至(さくたんとうじ)という盛大な祝宴が行われておりました。中国の竈の神についての調査も行い、ワールドワイドのおくどさんサミット開催も見据え、こういう歴史的な議式や催しから、おくどさん研究会で、おくどさん週間を12月16日から12月22日の一週間と定めました。

3、末長いお付き合いをお願い申し上げます。

 本日、御参集の皆様にお願いがございます。毎年、年に1度、このようにおくどさん関係者が集まり、京都の新たな風物詩になるよう、どうぞ末永くお付き合いくださいませ。さて、本年エントリー頂きましたサミットの企業様、美術館様などの創業年数を全部足しますと優に4000年を超えました。京の食文化・家族と生活の文化を支えてきたおくどさんに感謝、おくどさんを使い続けて頂いている皆様に感謝の気持ちで一杯でございます。

 時代が大変革の時、今年は大変厳しい年でございました。京すずめも創立20周年の記念行事をすべて中止にしましたが、何とか第3回おくどさんサミットを開催させて頂きました。心から感謝申し上げます。皆様のお陰でございます。有難う存じます。

以上

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