旧暦のお雛さん、京都は4月3日にも

土居好江

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半兵衛麩本店に飾られていた明治時代のお雛様 2023年3月2日撮影 
  先日、半兵衛麩本店(https://www.hanbey.co.jp/abouthanbey/sabo/)にお伺いした時、お雛様を拝見させて頂きました。とてもやさしいお顔のお雛さんに見惚れてしまいました。一日がかりでお飾りして、また、一日がかりで終われるそうです。

   京都の旧家では、お雛さんを旧暦にあわせて4月3日まで飾ります。旧暦の3月3日は「上巳の祓え」で、桃の節句のことでした。上巳とは3月の最初の巳(み)の日を指しますが、必ず3日とは限りません。『日本書記』や『続日本書記』では、3月に上巳の日に天皇が五位以上の方と宴を持ったことが記されています。奈良時代から平安時代中期まで年中行事となっていたようです。

   中国では、魏の時代(BC403年~BC225年)から川で身を清めて不浄を祓う習慣があり、日本でも平安時代に、この習慣を取り入れ、宮中で行われる「曲水の宴」(きょくすいのえん)となったのです。紙の人形に穢れを移して、川に流し、不浄を祓う「流し雛」の風習が生まれました。

   現在でも、上賀茂神社では毎年3月3日に桃花神事(とうかしんじ)が行われ、小川のほとりでお祓いをした後、紙で作った人形に穢れを移して川に流し、無病息災を祈ります。

   平安時代の貴族のお姫様は人形を「ひゐな」(ひな)と呼んでひゐなのために小さな道具や館で遊び楽しんだと、言い伝えられています。現在のままごとのようなものです。  

   これが江戸時代に桃の節句の特別な遊びへと発展していきます。雛遊びが雛飾りへと発展していくのは江戸中期頃で、江戸末期には四段~五段、十畳座敷全体をつかうような贅沢な雛段も登場してきました。

   現在の雛祭は江戸時代の豪商が贅沢の限りを尽くした段々飾りが流行り、やがて庶民にも広がりました。京都の旧家では4月3日の旧暦まで、お雛さんが飾られます。

   江戸時代までは雛人形は男雛と女雛の並び方は、向かって右が男雛で、左が女雛でした。宮中でも天皇が南に向かって最初に太陽の光を浴びる東側が位が高いとされて、日本古来の考え方を受け継いで、右側に立っておられましたが、明治維新で、海外の儀礼ルールに従って、女性が向かって右側に立つことになり、京都以外の地では、海外のカタチになりました。京都は現在でもお雛さんの置き方については、昔の伝統を継承しています。

   かつて、同志社大学の創立者の新島譲先生の奥様。新島八重さんのお嫁入道具のひとつであるお雛さんが公開された時、やはり、京都式の配置ではなく、会津式の配置だったことを思い出しました。その土地、その土地の風習や習慣があるものですね。
以上

 

 

 

 

 

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