京の春・「都をどり」と京の近代化1

土居好江

2023年2月11日撮影地下鉄道烏丸の電子広告 祇園甲部歌舞練場・都をどり・お茶席(2015 年)

   もうすぐ、春、都をどりの季節です。毎年4月に開催されます。明治維新で江戸が首都となり、京都御所の住人・天皇家も東京へ行かれ、京都の地盤沈下を防ぐことや景気回復、近代都市へと脱皮を図るため、明治4年((1871)日本初の展覧会を西本願寺で開催しました。

10月10日から33日間の開催でした。入場者数は11,211人で、入場料収益が731両(3億円)、純益が266両(1億円)となり、翌年明治5年にも博覧会を開催することとなり、その時は、教育性と娯楽性を兼ね備えたものとするため、「都をどり」が祇園新地新橋の松の屋の席を舞台に上演されました。これが第一回都をどりです。224人の祇園の芸舞妓が京舞を舞ったのでした。

 夕方5時から夜12時まで5回上演されて、大人気を博し、翌年明治6年には建仁寺塔頭旧清住院を改造した歌舞練場で開催されたのです。明治17年の第13回都をどりでは、日本初の舞台用のライトアップを島津製作所の技術で取り付け、華やかな舞台となりました。

 元来、芸舞妓の踊りは座敷の狭い場所で、しっとりと舞う格調高い舞いです。今でもお茶屋や料亭の座敷で披露されています。この都をどりは大勢の観客の前で舞妓が並んで踊る形式を考案したもので、日本舞踊にとっても大きな転換点となりました。京舞・井上流の三世井上八千代氏と一力の当主・杉浦治郎右衛門氏が考案したスタイルでした。

 私は都をどりに沢山の海外からの訪日客をお連れして、皆様が本当に感動されている光景を目の当たりにして来ました。西洋のダンスと異なり、まわりの空気を包むような踊りだからです。スペインでフラメンコを観賞した時の感情を爆発させるような踊りで、日本舞踊と真逆だったと感じたことを思い出します。

 平成28年からは祇園甲部歌舞練場の耐震改修工事のために、京都芸術劇場春秋座や、南座に場所を移して開催されていました。工事中は京都芸術造形大学や南座で鑑賞しました。子どもの頃から、親しんできた歌舞練場ではなく、他の会場では、何かしっくりこなくて、構造上、お茶席もいつもとは異なるカタチで実施されていましたので、今年の歌舞練場の開場を心待ちにしていました。

 春の訪れをお祝いする都をどりが、耐震改修工事を終えた祇園甲部歌舞練場で上演されることを、心よりお祝い申し上げます。

以上

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