ヒロシマ、ナガサキの夏

筆者の姑の名前はメリー、アメリカ・ワシントン州で生まれ第二次世界大戦の開戦を契機に日本に帰ってきました。日本語の漢字では米利(メリー)と書きます。メリーさんは広島で75年前に被爆しました。B29の米軍戦闘機のパイロットの顔がはっきりとわかるくらい降下してきたそうです。1945年8月6日、午前8時15分17秒、B29から原爆を投下しました。43秒後に爆発するよう設定されていた為、8時16分に高度600メートルで爆発したのです。

悲惨な状況は皆様がご存知の通りです。それから1ヶ月後、9月12日に、マリアナ諸島付近で台風が発生し、9月17日、広島市では最大風速30,2m/s、最大瞬間風速45.3m/sで甚大な被害が出ました。原爆に台風、人災と天災で枕埼台風と火と水の災禍にも生き抜き奇跡的な復活を遂げました。

原爆投下直後、捕虜になったアメリカ軍兵士が広島の市街地にさらされたようです。熱い焼けた石の上に寝かされ、通りすがりの市民がムチで打ち、怒りを爆発させたようです。

姑は同じアメリカに生まれた同胞として、何とか助けたいと思い、毎晩一升瓶に水を入れて水を飲ませてあげたいと捕虜の元に通いましたが、多くの人だかりで水をあげることができずにいたようです。

いつの日か人だかりが無くなっていたので水を飲ませてあげようと近づくと、すでに息絶えていたようです。悲しくて悲しくて泣き明かして回向したそうです。まさに異常の中の正常さというか、人間の精神のバランスを壊すのが戦争です。

日本には2つ原爆が落とされましたが、もう一つ落とされています。不発爆弾をソ連大使館に運び込むように指示がでています。筆者はその指令書を見ました。日本人の怒りはかなりピークに達していたようです。

このエピソードを聞いた時、いつでも人間はこわれるものだと思いました。一瞬で壊れるものだと。人間が人間らしくあるため、文化があります。京すずめを創立した時から、人間が生きる羅針盤をなくした時に野蛮になると、歴史が教えてくれています。そういう意味で、京文化のバックボーンに栄枯盛衰の中で培われた愛と優しさがあることを、発信していきたいと思っています。

1945年終戦の夏、日本は広島、長崎でウランとプルトニウムの原子爆弾の実験地となりました。その他、全国10ヶ所の候補地の中には京都が含まれていて終戦が遅れていれば、おそらく京都も被爆地になっていたでしょう。終戦の月、8月に75年前の日本と世界を理解し、これからの世界と日本を考え、人生に役立てていきたいと思っています。

                                                                                                     以上

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