すぐきのルーツと歴史

京都上賀茂の特産品、すぐき農家をお尋ねしました。すぐきと塩だけで作られているお漬物です。すぐきのお漬物には1センチ平方に1憶個の乳酸菌が含まれており、健康志向の現代人にも、最適のお漬物で、京都三大漬物の一つです。(千枚漬け、しば漬け、すぐき)
12月に八隅農園のすぐき作業小屋をお尋ねして参りました。作業小屋の近くに行くと、すぐきの甘酸っぱい匂いが、ほのかにたちこめてきて、ここがすぐき作業小屋とわかります。

すぐきは酸茎とも書きますがスグキナやスクキ、カモナ(賀茂菜)とも呼ばれますが
京都ではすぐきと言えば、すぐき漬けの漬物を指します。かぶの系統で大根を短くしたようなカタチです。

すぐきの歴史は400年前、上賀茂神社の社家が賀茂の河原で見つけた植物を持
ち帰ったことから始まります。江戸時代、元禄の頃に出版された『本朝食鑑』には『年を経て酸味を生ずるので酸茎と称す』と記されています。京都では明治の終わり頃、
大阪・東京では大正時代から販売されています。すぐきの「天秤漬け」(天秤を使って漬ける・写真参照)は昭和初期から行っています。
江戸時代には秋から冬ではなく、初夏に上賀茂の特産品として、洛中の御所や公家、上層階級の人たちへの贈り物として重宝されまました。すぐきは、その野菜の特性から漬物として用いられていきました。
また、諸説あり、御所から賜った植物を植えたのが始まりだという説もありますが、上賀茂神社の社家で栽培が始まったのが定説のようです。社家の屋敷内で栽培されていたすぐきも江戸時代末期からは一般の農家でも作られるようになります。栽培地域が松ヶ崎より西、北山通りより北部という上賀茂の狭い地域に限られていて、門外不出の秘伝として栽培されました。
文化元年(1804年)に所司代から『就御書口上書』で、「すぐき」を他村へ持ち出すことが禁じられ、「すぐきはたとえ一本といえども他村へ持ち出すことを禁ず」と朱書きされており、今日まで、栽培技術も種子も一粒たりとも持ち出されることがありませんでした。気候風土も関係して、この上賀茂の地だけに「すぐき」の貴重な発酵技術が現在に伝わることとなりました。

「すぐき漬け」に含まれている乳酸菌のなかでも、ラブレ菌」は「京都パストゥール研究所」の岸田網太郎博士により、すぐきのお漬けものから発見されました。1センチ平方に1億個が含まれています。体内のインターフェロン(ガンやウィルスから身体を防御する因子)生産能力が高まり、安全で副作用のない免疫能力助長剤としての可能性があることが研究で明らかになり、このラブレ菌を使った漬物屋さんも売り上げを伸ばしています。
作業小屋を見学した後は、オーガニックレストランCAVA(カーヴァ)で、すぐきのピザやすぐきとサツマイモのコロッケ等をランチに頂き、鴨川を眺めながら、ゆっくりと心地良い時間を過ごしました。

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