祇園囃子は宇宙と交信している?!

土居好江

2022年7月16日祇園祭宵山                                                                                鉾での囃子方
10年程前に、パリのエッフェル塔横のカフェーで、ランチをしました。その時、博学で京都大好きな外務省の方から、「祇園囃子って、しょぼいですね」と、さらっと申されたのです。衝撃的なお言葉に、私はとてもショックでした。

「コンチキチンの金属音は太古から宇宙との交信につかわれたのですよ」と私は申し上げました。

私自身、祇園囃子がしょぼいと感じたことは、一度もありません。でも、よく考えると、他府県の阿波踊りや勇壮なお祭と異なり、京都のお祭は静かですね。

 その時、思い出した「太古から金属音は宇宙との交信に使われた」という講座の内容でした。音の研究者からそのことをお聞きしていて、パリで、そのことを思い出したのです。

おそらく金属音の周波数が宇宙の成り立ちと関係しているのかどうか、わかりませんが、宇宙の周波数を共鳴し、神様も喜び、人間の身体にも心地よい周波数なのでしょうか。長年、毎年このコンチキチンを聞いて育った私には、夏が来た安らぎの音でもあります。

祇園祭は山頬巡行と御輿渡御の2つがあってこそ、祇園祭です。御輿渡御は平安時代の終わり頃から始まり、山鉾巡行は鎌倉時代の終わり頃から、始まったと伝えられています。山鉾巡行は朝に行われ、夕刻に御輿渡御が行わるスタイルは今も同じです。

 御輿渡御は「ホイットー、ホイット―」と力強い声で、密になって、御輿を上下に振りながら練り歩くのです。疫病を退散させようという祈りの大声と宇宙に届くようなコンチキチンとの2つが祇園祭なのです。

 明治までは旧暦の6月7日と6月に14日(新歴の7月17日、7月24日)に行われていました。鎌倉時代から昭和30年代まで、前祭と後祭りの2回の山鉾巡行があったのです。(昭和41年に7月17日に一本化)

前祭と言う言葉を使うのは江戸時代以降で、それまでは「七日山鉾」と読んでいました。 また祇園祭という言葉は江戸時代以降に使われたものです。それ以前は祇園会、祇園祭礼と言う言葉しか文献にはでてきません.平安時代は祇園御霊会と言いました。何故御霊会と言われたのか、次のブログに書かせて頂きます。

 疫病退散を各町内を回り祈り、都を平安を祈った祭です。まるで、静と動の2つがあわさった京都の奥深い文化を表しているようなお祭です。

以上

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