時代を象徴するお二人がお亡くなりになられて

京都土物語 京セラ本社にて 徳留正美広報部長 2004年5月 

稲盛氏が心の支えとした石門進学 京すずめ学校inスペインで紹介させていただいた資料 2018年3月

土居好江

京セラ創業者の稲盛和夫氏と旧ソ連の元大統領・ゴルバチョフ氏がお亡くなりになりました。一つの時代を象徴するお二人でした。

ゴルバチョフ氏とは、大統領引退後に、京都国際会議場で開催されたグリーンクロスの国際会議のお手伝いをした時、お会いして、とても気さくな方だった記憶があります。お元気だったライサ夫人とご一緒でした。

稲盛氏とはお会いしたことはないのですが、親しかった方々から、いろいろお話をお聞きしていました。一つの時代をつくった方々ですね。インテルのCPUがあまりに高熱になったので、セラミックパッケージで包むことになったことがきっかけで、京セラの躍進がはじまりました。一時期インテルの全てのCPUに京セラのセラミックが使われていたほどです。昭和創業の企業が、その膨大な生産をこなした馬力は素晴らしいものです。当時の京セラビルは、毎日夜12時を過ぎても電気が赤々と、灯っていたと日本電産創業者の永守氏が語っておられました。この永守氏は、「人生の目標は稲盛氏を抜くことだ」と、何度も宣言されていて、私も何回もお聞きしていました。

この稲盛氏の大好物が吉野家の牛丼で、30年ぐらい前に、どんな牛丼なのか、知りたくて、友人と吉野家へ初めて、お伺いしました。正直、驚きました。稲盛氏が京都府知事や有名な方をこの吉野家で接待されていたことを知るにつけ、桁外れの人物だったことが偲ばれます。特にお気に入りは吉野家有楽町店だったようです。

稲盛氏は新幹線から降車するときは、ゴミを拾い、座席が進行方向に向くように整理されて、「有難うございました」と列車に御礼を申して降車されていたようです。宿泊のホテルも退出するときは、綺麗にベッドメイキングをされて整理整頓されていたようです。

この習慣は私が尊敬するイエローハットの創業者、鍵山秀三郎先生も、ゴミ拾いの掃除道を追求なさっています。人の見ていない処での振る舞いに学ぶことが多いです。成功者の法則というか、共通項でしょうか。

稲盛氏は江戸時代に生まれた「石門心学」の石田梅岩先生を尊敬し、起業の哲学とされていました。京セラの稲盛イムズと技術を学ぼうと、2004年5月に京セラ本社で京すずめ学校「京都土物語」を開催させていただきました。当時の徳留広報宣伝部長にご丁寧なご説明と戦略本部長の技術のお話など、長時間、講座と見学をさせて頂いたことを思い出します。また、亀岡の石田梅岩先生の生家でも京すずめ学校を開催させて頂き、梅岩先生が石門心学を開講した時に咲いた蓮の種を、ご当主から頂き、今も大切に保存して、その精神を受け継ぎたい願っています。

以上

 

 

 

 

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